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2004年4月30日 (金)

制御できない対象を取り込む力

 「勇気が出ない」(2004年04月27日にアップ)にコメントを付けられたinoueさんの以下メッセージ(小さな覗き窓(続))は、写真の本質をついている。

 “色や光の変化や被写体の動きは、シャッターを押す者のイメージを遥かに超えていますからね。自分がコントロールしきれない対象を自分の(作品の)なかで活かせたとき、それまでの自分とは違った何かが表現できるのだろうと思います。”

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2004年4月28日 (水)

朝陽のいたずら

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 昨日吹き荒れた強風が快晴の空を運んできた。朝陽が眩しかった。息を吐いて瞑想に入り、少し休む。
 夕方、移転先の物件候補をスタッフたちと三人で最終確認に行く。大気少し冷たくも日差し暖かく、今年一番の心地よい春に、思わずこぼれる笑顔。翌日からの長期休暇を前に、銀座あたりを歩く人たちの表情も穏やかに見えた。
 不動産の担当者たちと二件見て回る。この物件こそは、と思っていたものが中途半端に見え、二番手の物件が最良と判断されたのは、なぜだろう。担当者も少し戸惑っていた。眩しい朝陽を見たせいかもしれない

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2004年4月27日 (火)

勇気が出ない

 職人を支援するための会社は新しい職人と出会い、来月、事務所を移転することにした。えっ、そんなことやんの! と、友人たちはきっと驚くだろう。そんな会社は、私を写真家として認識してくれたが、それからというもの、カメラのシャッターをなぜか押せなくなってしまった。そのうち、送るべきメールも書けなくなり、電話もできない、友人に連絡をとることもできない状態が続いている。
 正確には、発する言葉を失くしてしまった後にシャッターを押せなくなった。言葉と映像にどのような関係があるのか分からないが、密接な関係にあることだけは実感している。言霊に魅入られたのかもしれない。なんて言えば格好はつくが、何の問題も解決できない。
 「力を抜いて流れに身をまかせ、ゆっくりすればいいじゃない」
 と、誰かがアドバイスしてくれた。

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2004年4月25日 (日)

当たり前なこと

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 私はいろいろとよく紛失するのだが、なぜかほとんど戻ってくる。とは言っても、先日紛失した財布はさすがに諦めた。現金が入っているものだし、どこで紛失したのかまったく記憶になかったし、唯一思い当たるふしのある蕎麦屋でも見つけることができなかったからだ。
 土曜日の夕方、友人からもらった最中を食べているとき、携帯に電話が入いった。見知らぬ電話番号なので切ろうとしたが、とりあえず電話に出てみることにした。
 「か○ぐ○さんですよね」と、彼は言った。
 「はい、そうですけど」と、警戒する私。

 電話は、あの夜に乗った個人タクシーの運転手からだった。急ブレーキをかけたときに、財布が運転席の下にもぐりこんだみたいで、さっきまで気が付かなかったんですよ。革の茶色の財布ですよね。すいませんねえ。これから届けますから、と彼は言った。あの夜、泥酔したまま渡した名刺が功を奏したのだった。
 彼は春日部から都心まで車を飛ばし、財布を届けてくれた。未払いの料金や心付け、私が大好きなちょっと高級なドラ焼きなぞを手渡し、彼と車内で少し話しをした。息子が小さなタクシー会社を経営し、そこで働いており、実家では娘二人がパン屋をやっているという。

「もう諦めてたんですよ、ホントに。できれば、現金とかカードとかはなくなっても、財布だけでも…。この財布にはちょっと思い出があるんです。遠いところを届けてくれて、本当にありがとうございました」
「当たり前のことだから」と、彼は言うと、車を走らせて去って行った。

 私は深く頭を下げ、その夜、たむけの一杯を彼に贈った。

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2004年4月24日 (土)

ホモセクシャルな夕暮れ

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 水曜日の午前中に友人Aから電話が入った。
 「もうあのバーには出入り禁止じゃないの」と、心配していた。
 「そんときはそんときさ、気にすんな」と、軽く流す。
 しかし、近いうちに店に出向き、一発わびを入れておかねばなるまい。そういえば、電話をもらって思い出したことがある。
 「警察に紛失届けを出さなきゃ」
 というわけで外出することにしたのだが、完璧な二日酔いで顔は腫れ上がったまま。ヒドイ顔だ。公共の施設に出向くときは、ネクタイでも締めてシャキッとした風を装わねばならんだろう。シャワーを浴び、洗い立てのワイシャツにネクタイを締め、背広を着る。しかし、久しぶりのネクタイで酸欠になったのか、気分が悪くなり、上着を着たまま事務所の床に横になる。ううう、気持ち悪りい…。
 何度か電話に出た夕刻。なんとか体が回復してくれたので、いざ外出となる。
 「なんだこの暑さわあ!」
 誰かが先走って夏を呼び寄せたらしい。読みもしない本を詰めた黒いカバンがやけに重い。溜池山王から銀座線に乗り、隣の赤坂見附で丸の内線に乗り換え、新宿三丁目へ出向く。交差点の角にある交番に入り、とにかく紛失届けを出す。
 警察官たちは親切だった。交番を出て、あの最後に入った蕎麦屋を探すことにした。確か新宿二丁目だったはず。あたりを徘徊するも、午後6時前では暖簾すら出してない店がほとんどで、お目当ての蕎麦屋が見つからない。困り果てた挙げ句、仕事中の迷惑も省みず、友人Fに電話を入れた。
 「新宿二丁目で深夜までやってる美味い蕎麦屋、知らないか?」
 「そうねえ、本格的な蕎麦屋だと三軒。AとBとC。店頭で蕎麦を打ってるのがA。少し大柄な大将がいるのがB。いかにも薔薇族な店の隣にあるのがC。お勧めはCだけど、どうしたん?」
 と、F氏はスラスラと答えてくれた。かつて「北海道の神童」と言われた彼の頭の中に蓄積され続けるデータベースは凄い。それ以上にいつも感心するのは、データを一瞬のうちに引き出す編集力だ。編集者にしておくのはもったいない。
 とにかく中央なんたら通りに入いり、何度か行ったり来たりしてみた。その頃になると、店も開店し始める時刻に差し掛かっており、店の明かりが一軒、また一軒と灯り始める。かすかな記憶を手繰り寄せながら通りを行ったり来たり。男たちから熱い視線を何度も感じてしまった。
 ひょっとしたら店に財布が保管されているかもしれないという期待より、別世界に紛れ込み、異質な空気をいつしか楽しんでいる自分がそこにいた。結局、店を見つけることはできなかった。
 せっかくやって来たのだから、そのまま帰るのもしゃくだ。どうせならと、薔薇族専門店すぐそばの蕎麦屋Cに思い切って入いり、蕎麦を注文した。
 「昨日と同じやつですね」
 と、店員はこたえたのだった。蕎麦を賞味し財布のことを聞くと、
 「三人さんで座っていたとこに財布はなかったですよ」
 と、店員はこたえ、熱いまなざしで私を見るのだった。
 「ありがとう。また来るよ」と言って私はその店を辞した。

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2004年4月22日 (木)

情けない夜

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 彼女を見かけたのは、自分が文無しだと気が付き、手ぶらでコンビニを出たときだった。道の向かいの生垣に顔を突っ込んだまま動かないうら若き女性。もう午前二時を回っていた。
 …その夜は新宿三丁目から二丁目へと友人たちとハシゴし、久しぶりに記憶を失うまで飲んでしまった。常連となっている渋いバーで大騒ぎしてしまった友人が、もうあの店には入れないんじゃないの、と、何度も私に謝っていたことは覚えている。
 「お客さん起きてください」
 と、タクシーの運転手に起こされたのは、赤坂TBS前交差点だった。自分が帰るところはなんとか運転手に伝えたらしい。午前二時近くだというのに、まだポツリポツリと人が歩いている。
 料金を支払う段になって財布を探すがどこにもない。二件目の店で支払ったときに財布を取り出したところまでは覚えているが、それ以降の記憶がない。かろうじて小銭入れがあったのでジャラ銭をすべて渡し、残りはここに請求してよ、申し訳ない、と名刺を渡してタクシーを降りたのだった。水がほしいな、とコンビニに入ったのだが…。
 「大丈夫ですか?」
 と、彼女の背中から声をかけると、
 「う~ん…」
 と、唸って起き上がった彼女は、私をキッと睨むと、立ち上がってフラフラと坂を登って行った。そんなに敵意をむきだしにしなくても…。それほど余裕のない世界にいるのか、と悲しくなる。
 「すいません」
 と、謝った自分もバカみたいだった。「女性はか弱い存在だから助けなきゃいかんぞ」という親の教えが染み付いているのだろう。放っておけばいいものを、つい声をかけてしまう。自分でもため息がでる。
 やはり気になったので、少し離れて後を追っていくと、彼女はなんとも私と同じマンションに入っていくではないか。エレベータに乗るのが見えたので安心したが、すぐにはマンションに入るのがはばかられ、コンビニへ戻ることにした。コンビニに着いて、自分が文無しだったことに気が付き、笑ってしまった。私も相当に酔っていたらしい。
 それにしても、セクハラとかストーカーとかドメスティック・バイオレンスとか、そんなカタカナ言葉の世界の中で虐(しいた)げられている女性は気の毒だ。“慈しみ”の心を持っている大和の男たちもカタカナ言葉にビクついている。本当の男なら、恥を忍べ。
 自分の部屋に戻ると、紛失した財布に入っていたクレジットカードの会社に電話をかけまくる。無効手続きが終わったときは、もう午前三時近くだった。それまでに何度かトイレに走り込む。鏡に映る自分の顔が情けなく見えた夜だった。
 マルガリータをやめて髪を伸ばし、若づくりして爪先立って生きていこうとすると、ときどき醜い我欲が顔に表れてしまう。「アクセス・ナイン」とつぶやいて無垢な心を取り戻せないのなら、いっそのこと、白髪まじりのひげを伸ばし、ジジイとなって枯れてしまえ。

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2004年4月16日 (金)

アクセスナインとつぶやくとき

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 さて、ブログの開始だ。これが最初のメッセージ。ウェブから移転してきたが、どんな展開になるのか期待したい。

 訳の分からぬ気になる何かに遭遇してしまったとき、心が揺らぎますね。もしも、その揺らぎが最大限に振幅した状態でその何かと共鳴できたら、素晴らしと思いませんか。
 ただ、心が揺らぎ過ぎると、自分を制御できなくなるので、注意しなければいけません。言葉を失くして引きこもってしまったり、逆に攻撃的すぎる言動に出てしまうことがあるからです。

 そんなときは、「アクセス・ナイン」とつぶやきましょう。アクセス・ナインの「ナイン」とは第九職のことです。仏教用語で、阿摩羅識(あまらしき)という領域のことです。専門的なことはさておき、「アクセス・ナイン」とは、「結果なんぞ気にせず、今のことに集中すればいい」という呪文です。まだ気づかぬポテンシャルを引き出すために……。

■心に“揺らぎ”が起きない限り、先に向かって進めない。心が揺らぐのは、“訳の分からぬ気になる何か”に遭遇してしまったとき。気になり始めると、揺らぎの振幅は加速度を増す。加速度の度合いは、気になるものとの距離の自乗に比例する(ホントか?)。距離が遠すぎれば永遠に手が届かなくなる。とはいえ、遠ければ遠いほど気になるし、手が届く限界、つまり閾値(しきいち)を自分で判定することも難しい。困ったものだ。
■心に“揺らぎ”が起きて、気になる存在と折り合いをつけようとするとき、指数級数的に爆発する“揺らぎ”の振幅の中に身を置くことになる。その中にいなければ、気になる存在と共鳴し、思いもよらなった世界を造りだすことはできない。モノ造りする力の源泉はそこにある。アントニ・ガウディに惹かれるのもそこにある。
■心が“揺らぎ”過ぎると自分を制御できなくなり、様々な問題を引き起こす。言葉を失くし、引きこもってしまうこともある。そんなときは…
「アクセス・ナイン、アクセス・ナイン…」
とつぶやいて瞑想に入る。
■ナインとは、第九職、阿摩羅識(あまらしき)のこと。仏教用語だ。私は宗教家でもなく、瞑想の推進者でもないし、自己啓発の啓蒙家でもない。単なる表現者にすぎない。第九職という領域に達することを目的に生きているわけではなく、その領域を意識した「モノ造り」をやろうとしているだけの存在。
■私にとって最大の課題は、現時点では気づいていない自分の中にあるポテンシャルを、どうしたら引き出すことができるかだ。金銭や名誉、社会的地位なぞ無用のこと。とはいっても、支障なく仕事をし、礼を失しないためには、それなりのものも必要になる。
■なんとか均衡を保つために、今日も「アクセス・ナイン」とつぶやくのだ。

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