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2004年4月16日 (金)

アクセスナインとつぶやくとき

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 さて、ブログの開始だ。これが最初のメッセージ。ウェブから移転してきたが、どんな展開になるのか期待したい。

 訳の分からぬ気になる何かに遭遇してしまったとき、心が揺らぎますね。もしも、その揺らぎが最大限に振幅した状態でその何かと共鳴できたら、素晴らしと思いませんか。
 ただ、心が揺らぎ過ぎると、自分を制御できなくなるので、注意しなければいけません。言葉を失くして引きこもってしまったり、逆に攻撃的すぎる言動に出てしまうことがあるからです。

 そんなときは、「アクセス・ナイン」とつぶやきましょう。アクセス・ナインの「ナイン」とは第九職のことです。仏教用語で、阿摩羅識(あまらしき)という領域のことです。専門的なことはさておき、「アクセス・ナイン」とは、「結果なんぞ気にせず、今のことに集中すればいい」という呪文です。まだ気づかぬポテンシャルを引き出すために……。

■心に“揺らぎ”が起きない限り、先に向かって進めない。心が揺らぐのは、“訳の分からぬ気になる何か”に遭遇してしまったとき。気になり始めると、揺らぎの振幅は加速度を増す。加速度の度合いは、気になるものとの距離の自乗に比例する(ホントか?)。距離が遠すぎれば永遠に手が届かなくなる。とはいえ、遠ければ遠いほど気になるし、手が届く限界、つまり閾値(しきいち)を自分で判定することも難しい。困ったものだ。
■心に“揺らぎ”が起きて、気になる存在と折り合いをつけようとするとき、指数級数的に爆発する“揺らぎ”の振幅の中に身を置くことになる。その中にいなければ、気になる存在と共鳴し、思いもよらなった世界を造りだすことはできない。モノ造りする力の源泉はそこにある。アントニ・ガウディに惹かれるのもそこにある。
■心が“揺らぎ”過ぎると自分を制御できなくなり、様々な問題を引き起こす。言葉を失くし、引きこもってしまうこともある。そんなときは…
「アクセス・ナイン、アクセス・ナイン…」
とつぶやいて瞑想に入る。
■ナインとは、第九職、阿摩羅識(あまらしき)のこと。仏教用語だ。私は宗教家でもなく、瞑想の推進者でもないし、自己啓発の啓蒙家でもない。単なる表現者にすぎない。第九職という領域に達することを目的に生きているわけではなく、その領域を意識した「モノ造り」をやろうとしているだけの存在。
■私にとって最大の課題は、現時点では気づいていない自分の中にあるポテンシャルを、どうしたら引き出すことができるかだ。金銭や名誉、社会的地位なぞ無用のこと。とはいっても、支障なく仕事をし、礼を失しないためには、それなりのものも必要になる。
■なんとか均衡を保つために、今日も「アクセス・ナイン」とつぶやくのだ。

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