« 2004年11月 | トップページ | 2005年1月 »

2004年12月29日 (水)

ミニョンしぃ

■松浦の港からフェリーに乗ると、15分ほどで平戸港に着いた。その足で小高い丘に登る。登り切った目の前には、立派な白亜の校舎が建っていた。「よかね。明日からはここに通うっとぞ。がんばらんね」と、母は言った。こうして私は、地方都市である長崎から、平戸という島に転校した。中学二年の秋のことだった。
■中学校は平戸市街の中心地にあり、1学年に15クラスもあるマンモス校。とはいえ、都会からやってきた生意気なぼうずには、学校も街も田舎そのものでしかなかった。
■長崎も平戸も同じ長崎県に所属するとはいえ、どちらも歴史ある土地柄。それぞれ言葉には独特のなまりがあり、土地に慣れるまで私は無口にならざるをえなかった。近所の大人たちも級友たちも、圧倒的に親切で人なつっこい人たちばかりだった。「おんしぃ、名前は?」、「おんしぃ、うちはどこや?」、「おんしぃ、一緒に帰ろで」と声をかけられた。「おんしぃ」とは聞いたことがない言葉だったが、「オイ」「オマエ」「キミ」に相当する言葉だと、すぐに分かった。
■苗字の後に「○○しぃ」とつけて呼ばれることもあった。苗字のあとに「氏」をつけているのか、「おんしぃ」という呼びかける言葉の「しぃ」からきたものか、今でもよく分からない。
■その頃、平戸海峡に橋がかけられ、平戸は九州と陸続きとなる。あれから四半世紀たち、言葉づかいも変わったと聞いている。あの「おんしぃ」というやさしい響きは、もうなくなっているんだろうか。
■そんなことを思い出したのは、韓国語のまま放送されている『冬のソナタ』を見ているときだった。日本語版での「ミニョンさん」は、「ミニョンしぃ」にかわっていた。人を呼ぶときに繰り返される「○○しぃ」という音。あれは平戸で聞いた「おんしぃ」の「しぃ」に似ている。
■長崎では、韓国語が流れついてできた言葉に出くわすことがよくあるが、この「しぃ」もそのひとつなのかもしれない。長崎弁の抑揚にしてもそうだ。平坦で尻上がりな抑揚は韓国語に近い。「ミニョンしぃ」の抑揚も「おんしぃ」に近い響きがある。
■『冬のソナタ』を見るたびに、昔をちょっぴり思い出す。記憶への小さな扉が不意に開くときって、ありますよね。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2004年12月28日 (火)

ハンドルネーム(kawa)

 このblogでのハンドルネームを tadashi から kawa に変更しました。すいません。
 これまで、ここで使ってきた tadashi (ただし)はペンネームとして気にいってたんですが、他のネットとのからみで「紛らわしくてわかんないよぉ!」というクレーム多く、涙を飲んで tadashi君とバイバイすることにしました。死んじゃったわけではありません。別のとこで、こっそり活躍しているはずです。
 ま、ここはひとつ kawa にて、よろしくお願いしまっす!

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2004年12月27日 (月)

武術入門初日

231_3191d■経験したことは、原稿とは関係なさそうに見えても、淡い光を放ち続ける…

■日曜日、目が覚めると正午だった。昨夜は早い時間に床に入いり、午前中に原稿を進めておくはずが、こんなに寝坊してしまうとは…。昨夜があまりにも楽しかったからか。知らぬ間に体が疲れていたのかもしれぬ。
■午後1時過ぎには駒込にいた。今日は武術入門初日。遅刻するわけにはいかない。しかし、まだ目が覚めて二時間とたっておらず、道場の門をたたいたときは、目はまだプクッとはれたままだった。
■それから四時間近く、師匠も若い先輩たちも、私が怪我しないように丁寧に武術のいろはを教えてくれた。お蔭様で、痛みもひどいきつさもなかったが、道着は汗がしぼれるほどグショグショになっていた。その後、場所を変えて師匠と先輩たちから話をしていただく。帰宅したのは、午後十時近くだった。
■この週末に一気に進めておこうと思った原稿には、一行も書き加えることができなかった。しかし、原稿を差し置いても、やらねばならぬ、やっておくべき、やっておいたほうがいい、と思わせることができた週末だった。書いていないときの過ごし方こそ重要。それは、原稿を待っている人の予想を突き抜けるようなものが書けてなんぼの世界の常識だ。とはいえ、締め切りは守らねばね(笑)。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

ノイズは少なめで

231_3154d■誰も知り合いのいないホームパーティに出席したのは、何年ぶりだろう。そうそう、15年前に乃木坂で開かれたHOLONET(ホロネット)のパーティ以来だ。それにしても、土曜日のパーティは居心地がよかった。呼んでいただいた I さん、Yちゃん、ありがとう。
■HOLONETは当時盛んだった「草の根BBS」のひとつ。デジタルデザインの先駆者となろうとするクリエイターたちが、これぞと思う人に声をかけ、口コミで一人、そして一人、また一人と、HOLONETに集まってきたのだった。今はいくつかのネットに分散してしまったが、あの頃に知り合った人たちの多くは、デジタルとデザインをキーワードにした世界の第一線で、現在も活躍している。
■土曜日に開かれたパーティは、15年前と同じように、顔は知らぬがお互いのメッセージは読んでいたという、いわゆる「オフ会」。しかし、単なるオフ会でないものを感じたのは私だけじゃないだろう。引き寄せられる魅力の根っこが違う。根っこからは人間らしいニオイがしてくる。集まっている人たちの中心には“犬好き”が集まっているが、猫好きだっている。どちらにしても、人一倍鼻の効く人たちが集まっていることは、確からしい。
■その根っこが何かはよく分からないが、少なくともいえることは、仕事を終えてバーのカウンターに座ったとき、ちょっとお誘いしたくなる人たちだな、ということ。思えば、仕事を離れて話ができる相手って少ない。社会的な地位と仕事のしがらみで、普通に話ができる相手って、どんどん少なくなっていないか。Rっちゃん、こんど飲みにいこうね。クラリスさん、では、れいのバーで。
■土曜日のパーティには、みなカメラを持参してきていた。私はASA1600にして撮影。ASA1600はノイズが立ちやすい。バーチャルからリアルな世界にいきなり入り込むと、めまいがする気がしたので、ノイズをバリバリにして撮影したのだった。ただ、今となっては、もっと鮮明な写真にすればよかったかなと、少し後悔している。そんな夜だった。

| | コメント (9) | トラックバック (3)

2004年12月25日 (土)

苦渋の選択

どちらに転んでも迷惑をかけてしまう時って、ありませんか。よりによってクリスマス・イブにそんな苦渋の選択をしてしまうなんて…。本当に気が重くなってしまいました。苦渋の選択は、男女関係ではありません。念のため。そんなに若くありません(笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004年12月24日 (金)

笑って年末

 クリスチャンでもないくせに、イブをお祭りにしちゃっていいもんですかねえ。あ、そうか、クリスチャンじゃないからお祭りになっちゃうんだ。原稿の締め切りに追われていても、まゆをしかめてしまいそうな気づかれすることがあっても、この時期になるとウキウキ気分で、笑顔が少しでも増えることは悪くないこと。
 私が住んでる水天宮、日本橋人形町あたりでは、12月に入ると「謹賀新年」の提灯が人形町通りの夜を照らし、門松づくりが始まり、餅つき大会もあったりして、もう正月気分であります。少しくらい浮き足だってもいいよねえ。
 友人のふじいさんからメールがきて、ちょっと、のほほんとしてしまいました。のほほん、としたクリスマスイブを味わいたかったら、ここをクリックしてみるといいかも。フフッ。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2004年12月23日 (木)

機会を潰す者は許すまじ

 世の中には約束を守るという観念が欠如した輩(やから)が存在する。約束を守れなかったことに、後ろめたさをみじんも感じない、約束を守る意志が最初から欠如している輩が存在する。
 そのことに初めて気が付いたのは、会社を立ち上げ、社会の荒波にさらされるようになった十五年ほど前のことだった。約束を守ることは当たり前だと思っていた人間にとっては、晴天の霹靂(へきれき)である。そんなことが三度も続けば、人はそれなりに強くなる。それにしても三度目の出来事は、会社なんか始めなけりゃよかった、と後悔させるほどの悩ましい経験だった。

 あれは社会の荒波の様子が見えてきた三年目のこと。半年間、外部スタッフも含め十名ほどが掛かりっきりになった、うちとしては大きなプロジェクトだった。ある画期的なプログラムでソフトウェア会社を急成長させた友人のK君からの発注だった。日本を代表するコンピュータ会社とのタイアップ製品。前途洋々の仕事でスタッフたちも気合が入っていた。納期ギリギリになんとか納入し、スタッフへの支払いも借金でなんとか済ませ、あとは入金を待つばかりだった…。
 さあて、これで次は、やりたかった“あの仕事”にかかれるよねえ、と、スタッフたちは盛り上がっていた…。インターネットがまだ黎明期だった頃の話だ。今、自分たちが動けば、必ずインターネットの世界を面白くできるという自信があったときだ。しかし、シナリオ通りにはいかないのが世の常である。
 それは入金の三日前。忘れもしない。「ごめん、倒産しちゃったよぉ。ちょっとやばいから消えるよ。ゴメン」と言ってK氏は消えたのだった。

 いや、本当に困った。私財もすべて会社につぎ込んでしまい、金の工面は全くできない状況だったからだ。ほんの数千万の借金とはいえ、まだ小さな個人商店みたいな零細企業にとっては負担が大きい。よもや、あの大手企業が見放してしまうとは、思ってもいなかった。こちらは袖を振ってしまって見事にスッカラカン。その保証を委ねていた会社がつぶれてしまっては、どこにも持っていきようがない。
 別件で進行中だった仕事をいざ納品しようとしたとき、フロッピーディスクを買う金もなく、スタッフに立て替えさせたときは、あまりの情けなさに涙も出なかった。

 約束を守ろうとしても、どうしてもできないことがある。それくらいは分かっている。倒産なんてよくあること。だから、私は不思議とK君を恨む気にもなれず、無事でいてくれることを祈った。今思うと、若かったんだなあ、と思う。有能なやつだから復活してほしい。やつには必ず帰ってきてほしい、という気持ちのほうが大きかった。きれいごとじゃなく、本当にそう思っていたのだ。

 そして、ちょうど三年後の冬の夜、偶然、あるバーで私は彼と出くわした。私は懐かしい顔に喜んだ。しかし、彼はいきなり言い訳を始めた。分かるよ、ありがとう。でも、もういいよ。いいじゃないか、もう済んだことなんだから。金は天下の回り物だよ。なんとかなるって、金なんて。どうしようもないときは、どうしようもないよ…。

 しかし、話をしているうちに、何か違っていることを感じてしまった。彼は約束を守れなかったことから逃げ回るだけだったのだ。いったい、何をやってるんだ、お前は! そんな彼の姿を、私は見たくなかった。誰だって、自分自身が情けないときがある。しかし、その状況をどう修復するか、どう収束させるかが問題だろう。それに、有能なスタッフたちは負債の返済のために三年を棒に振ったのだ。インターネット世界で広げられたはずのチャンスを逃してしまったのだ。
 「いやあ、あのときは本当にスマンかった。迷惑をかけたな。大丈夫だったのか、お前んとこは」彼にはそう言ってほしかったのだ。それですべてはチャラになったのだ。だって、友だちだろう?!

 私はあの夜、久しぶりに切れた。スタッフたちの無念さが後押ししたのか。いや、彼らにチャンスを与えられなかった自分自身への情けなさが、彼に責任を転嫁してしまったに違いない。私だってたまに切れることがあるのだ。

 卑怯者なんていわせるんじゃねえよ!
 言い訳すんな! てめえはオレのダチだろが。
 馬鹿野郎、この馬鹿野郎が!

 私は悲しくて悲しくて、表参道の地下にヤツを引きずりこみ、ヤツの頭を何度も何度も固い床に打ち付けてしまったのだった。もう、十年以上前の話。…まだ、時効じゃないか…(笑)。

 人のチャンスを潰してしまうような人間を、私は絶対に許さない。私も含めて…。
 人が持つポテンシャルを引き出す仕事をしている人を、私は尊敬する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004年12月22日 (水)

最後まで突っ込め

230_3038d■いや、本当に長かった。午後1時から午後8時まで客先に打ち合わせで居座ってしまうなんて…。屋上での写真撮影に始まり、インタビューの収録、書籍の構成確認、デザインのすり合わせまで、なんと7時間ぶっ通しの会議! やってくれるじゃ、あありませんか。いや、引っ張ってしまってすいません、というべきだろう。緊張しっ放しだったのでトイレに行く気にもなれず、午後9時に帰社すると、そのままトイレに20分ほど座ったまま、動けなかったほどだ。
■やっと冷蔵庫からビールを取り出し、『シディーク』のお持ち帰りカレーランチで食べ切れなかった、残り物のナンをかじる。かじりながら何をしていたのか、よく覚えていない。カシャカシャッというビデオが動き始めた音でわれに返った。昨日から始まった『冬のソナタ』完全版を撮るためのビデオが動き始めたということは、十時…。
■みなさん、本当にお疲れさまでした。L出版社のK嬢、デザイナーのN嬢、カメラマンをつとめてくれたS嬢。そして、最初から最後まで付き合ってくれたD社のF嬢には、その粘り強く真摯な対応に前回の打ち合わせのときと同様、敬服した。個人の持っているポテンシャルが大きいことは確かだが、どういう社内教育をすれば、ああなるのか。ちょっと興味がある。
■こうしてまだ眠りにつけぬのは、会議の端々で飛び交った示唆的な言葉に、頭が暴走しているからだ。…人が持っていて幸せと感じるものをつくるのが当たり前でしょ。…大人の文具箱って楽しいですよね。…もっともっと間違えばいいんですよ。間違って消しゴムで消して、チャラにして最初から始めるときって、ウキウキしたはずじゃないですか?…自由度を制限するから自由が産まれるんですよね。……
■こうしてまだ眠りにつけぬのは、実は会議だけじゃなく、雑談で話したことが残っているせいかもしれない。心に残る話が二つあった。ガンダムとレゴを身近に感じている人の話と、帰りしなのF嬢の話。詳しくここで書くのはちょっとはばかられるので、ほとぼりがさめたときに書こう。話がジャンプしてしまうが、少なくともいえることは、やはり組織は束ねる人の哲学によって決まる、ということ。そして、納期を考慮してまとめにかかっていた私は完敗だった、ということにつきる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

名前に負けるな

230_3001d ワインの王様はシャンパン。その中でも珠玉のできと言われるドンペリニォン。「えっ、ドンペリじゃないの、これ?」 と間違えてしまうほど旨いスパークリングワインが、日本の酒屋に行けば1本1000円で手に入る。
 名前はCAVA。スペインだったら、どこでも手に入るワインで、みなガブガブ飲んでいる。ただし、ドンペリを私は飲んだことがないので、真偽のほどは不明。先日の日曜日に飲んだCAVAは、写真より薄いピンク色をしていた。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004年12月18日 (土)

持続する力

229_2991c 最初にやったのはね、東西対抗戦だったんですよ。富士山を境に、メンバーの出身地で東西に別れ、グラブを持って球を投げ、バットを振って球を打つ。そして、みんなで球を追いかける。ホントに面白かったですねえ。メンバーは『大坊珈琲店』の常連たちとその友人たち。野球をやったことがある人も、まったくの素人もゴチャ混ぜ。好プレー珍プレーありで、とても楽しかった。

 そのうち対外戦もやろう、ということになりました。敵と戦うわけですが、それでも最終戦は、「大坊主」(ダイボーズ)のメンバーだけでやりました。最終戦では、やったことのないポジションを守るんです。ピッチャーをやったことのない人が投げる。内野手と外野手を入れかえる。打順を逆にするとかね。野球を楽しむために、いろいろやりました。
 最近は12チームからなるリーグに所属して、勝つことをひとつの目標に野球をしていますが、それもありだろう、とは思っています。

 いつもは違った環境で働いている人たちがひとつの場所に集まり、時間を共有して球を追いかけるなんてことは、やはり奇跡に近いんではないでしょうか。そして好きな野球を楽しむ。それは、とてもステキなことです。そういえば、「大坊主」は今年で…29年…になりますね。
 それでは、みなさん。来年も野球を楽しみましょう。

 大坊さんはそう言って、宴席に座った。最終戦に勝利したメンバーたちは、やはりこの人あってこそのチームであることを、昨年と同じように今年も感じたのだった。持続する力は、ここにある気がした。彼は現在、監督でも部長でもない。二塁を守る単なる選手のひとりだ。みなからは「オーナー」と呼ばれているが、特に権限があるわけではない。

 監督や部長は、対外戦の調整やもろもろの面倒なことをすべてひっかぶり、そして試合にのぞむ。二人の女性マネージャーたちも淡々とスコアブックをつけ、チームを支えている。名誉職みたいなものなのか。メンバーたちは、たまに寝過ごしてドタキャンなんて情けないことをしでかすこともあるが、新幹線を乗り継いでなんとか時間をやりくりして試合に滑り込んでくる者もいる。

 最終戦は昨日の土曜日、午後3時から5時までの2時間。試合途中でナイターとなり、冷え込んだ。場所は「有栖川公園」に隣接する「麻布球場」。このあたりには大使館多く、外人率が非常に高い。しょうしゃな大人の街という雰囲気。そういえば、来週、またこの近くに来ることになる。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2004年12月17日 (金)

IDの衝撃

■今年もっとも衝撃を受けたのは、ID(アイディー)だろう。デジタルステージから今年7月にリリースされたばかりのホームページデザイン・ソフトウェアだ。弊社カレンダーのアートディレクションをお願いした、エイアールの菊池さんから10月1日にプレゼントしていただいたのだが、製品の開発姿勢に驚かされたのだった。

■このソフトウェアの正式名称は、「ID for WebLiFE*」(アイディー・フォー・ウェブライフ)。IDとは英語のIdentity(アイデンティティ)の略語で、「あなたらしさ」「わたしらしさ」を意味している。IDはホームページをつくるツール(道具)ではなく、ホームページをつくることで「あなたらしさ」を見つけるメディア、つまり案内人、媒介人になろうとしている。開発コンセプトが根本的に違うのだ。

■その心意気に感じ入り、弊社のウェブサイトもこのソフトウェアで作り直す予定だ。このソフトウェアだけでは物足りない場合は、今月の24日に発売される「ID ShiftBOX」を組み合わせると、きめ細かいプロ仕様にも耐えられるサイトがつくりやすくなる。年末の楽しみがひとつ増えたようだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

刺激物はほどほどに

229_2927d2■お気に入りの一味唐辛子。ふたをとり、缶をたたいて最後のひとふり。唐辛子で赤くなったうどんを喰らい、大汗をかく。冬のうどんはまた格別。■昼間ポカポカ陽気の東京だったが、日が沈むとぐっと冷えこんだ。■夜遅くから水天宮にてN社のT氏、Y氏らと久々に会う。人が動き企画が動く年末らしい。刺激強く眠られず、原稿を朝まで書く。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2004年12月16日 (木)

今さらの弟子入り

 先日、友人の荒井高史氏が主催する道場へ初めて足を運んだ。武術の演武会を見せてもらうためだ。子供たちのかわいらしい空手に始まり、奥様方中心の太極拳、そして屈強な若者たちの空手と武術で締めくくられた。
 演武会は関係者たちに一年の成果を見せるというより、練習風景をありのままに見せるだけ。観客を意識したパフォーマンスはないが、見るものを飽きさせなかった。

 なぜだろう?と、考えてみた。

 演武する内容を演武者たちは知らされていなかった。それまでにやってきた練習と、その日の弟子たちの心と体の状況をみて、その場で師匠が新しいメニューを言い渡すのだ。演武者たちは最初とまどいながらも、動いているうちに練習の意味を理解する瞬間にたどり着く。その繰り返し。
 そうして演武者たちは、いくつかの新しい発見をしてその日も練習を終えるのだ。弟子たちはどう思っているか分からぬが、師匠の真剣勝負を私はそこに見た。

 やってみようかな、と思った。

 競技空手をこの道場では推奨していない。空手も太極拳も一般向けのメニューはあるが、本来は武術道場。人を一撃で殺傷する術と、戦わない術を磨く場所。
 町の道場だから、開いているときはいつでも練習していい、という。友人を師匠と呼ぶのは変な気持ちだが、道場ではそう呼ぶしかないだろう。今さら弟子入りなんてねえ。男性は一番上でも二十台後半。この年齢だと子供組からスタートになるのだろうか。

 まあ、続かないと思うけど、来てみなさいよ。と、荒井氏は笑っていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004年12月15日 (水)

思考するための記憶

163_6381c 思考を喚起するのは赤色ですか?

 ユビキタスを楽しんでる人って、あなたの周りにいますか? 私はひとりだけ知っています。

 先日、愛犬と散歩中の彼から電話が入いりました。最初は手帳の話だったのですが、ユビキタスの話に広がってしまいました。彼は、仕事もプライベートも、すべてのデータをメインマシンに格納し、管理しているそうです。

 社命でユビキタスを実践しろと言われて、システム手帳を泣く泣く捨ててしまったときは、不安で不安でさ、どうしようかと思ったよ。いちおう役員だから、引っ張り出される会議が多いし、参ったよホントに。でも、こっちにも意地があるからさ、しがみついてやってたら、面白いことに気がついたわけだ。手帳に頼れなくなると、記憶力と思考力がかえって増してくるんだよね。この歳だから記憶力も思考力も当然鈍ってるわけだから、しんどいしんどい。とにかく訓練のつもりで続けていたら、すぐに行動を起こせるようになったといわけだ。
 でも、やっぱりメモ帖だけは手放せないなあ。背広のポケットにいれた小さな手帳は頼りになる。文字も数字も乱雑でオレにしか読めないけどさ。
 仕事で外出するときはノートパソコンはまあ必須でしょ。ヴォイスレコーダーやデジタルカメラもたいてい持ち歩いてる。プライベートではやっぱり携帯電話が便利かな。とにかく、すべてのデータはメインマシンに格納し、毎晩、眠っている間にバックアップを取るわけだ。もともとシステムエンジニアだし、手間をかけずにユビキタス環境をつくれないとねえ。最後はけっこう楽しめたよ、なんて周りには強がってるけど、やっぱり面倒だったよお。

 私は彼のようにユビキタス環境を完璧につくることはできない。とはいえ、近々のToDo優先リストを、手帳でなくExcelで管理し始めている。私のやるべきことは数えるほどしかないので、実行するのは比較的カンタン。記憶できる範囲内にある。手帳に書きしるすのは、ズキン、ビビッときた、その瞬間でなければ発せられない、記憶から一瞬のうちに消え去っていく言葉だけでよいようだ。

 関連性の薄い数列や文字列を記憶することは馬鹿げている。しかし、記憶しておくべきことを記憶していないがために、思考が広がらない不自由さ感じるなら、意識的に記憶する訓練、記憶を取り戻す訓練をすべきだろう。好きな詩を朗読したり、自分の思考の原点となったフレーズを暗誦したりするといいのではないだろうか。

 たとえば、民主主義の起源といわれるリンカーン(Lincoln)のゲティスバーグでの演説(Gettysburg Address)やJFKの格調高い大統領就任演説(Inaugural Address)、マーチン・ルーサー・キングJRが絶叫した“I have a dream, today.”…とか。

Four score and seven years ago, our fathers brought forth upon this continent, a new nation, conceived in liberty, and dedicated to the proposition, that all men are created equal. ...(中略) ... It is rather for us to be here dedicated to the great task remaining before us - that from these honored dead we take increased devotion to that cause for which they gave the last full measure of devotion - that we here highly resolve that these dead shall not have died in vain - that this nation, under God, shall have a new birth of freedom - and that government, of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth. ... 1863, Abraham Lincoln

たった八十七年前のことじゃないか、ぼくらの父親たちがこの大陸にやってきて、新しい国を創ったのは。この新しい国には自由が束縛されないという精神があり、人はすべて平等に創造されたものだと、皆、そう思ってやってきたんじゃないのか。 ... 人民の人民による人民のための政府は、この地上から滅びさってはならない。

Fellow citizens, we observe today, not a victory of party, but a celebration of freedom - symbolizing an end as well as a beginning - signifying renewal as well as change. ...(冒頭部分のみ) ... 1961, John F. Kennedy

みなさん。私たちが今日この場所で見ていることは、私が属する党の勝利ではなく、自由を分かち合えることの喜びなのです。自分たちの手で終止符を打ち、新しいことを始める自由。単なる修正でなく、大きな変革を選択できる自由を祝う祭典なのです。...

%この後に書いていた政治的な話は削除しました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004年12月14日 (火)

手帳の切り替えどき

 この時期、手帳の切り替えで迷いません?
 日記形式の手帳はたいてい、前年のこの時期から始まってます。そこが悩ましい! 今年の手帳をこのまま使い続けるか、それとも来年の手帳に乗り換えてしまうか。スパンの長い仕事で年を越す予定を、どっちに書き込めばいいのか。12月24日初校、2月18日発行という予定は、どうすりゃいいんだ!
 私の場合、迷いながらも、毎年やることは同じです。どちらにも書いちゃう。ただ、来年の手帳にはメモていどの書き込み。今年の手帳のほうには、びっしり書き込みます。去り行く年への名残りのほうが、きっと大きいんでしょうね。
 慣れ親しんだものと別れを告げる儀式は、毎年必ずやってきます。一年という退屈させない切り替えどきを、いったい誰が思いついたんでしょうかねえ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2004年12月12日 (日)

眠り姫に抱かれて

228_2826d なかなか眠りにつけぬ金曜日の夜、久しぶりに眠り姫が姿をあらわした。私の体調が狂いかけると、眠り姫がお出ましになるらしい。
 「そのままじゃいけないでしょ、からだ壊れちゃうでしょ。だめよ、それじゃ。安全弁を抜きましょうね、いい子だから。でも、抜かなくってもいいのよお。そのままずうっと眠り続ければ、本当に楽になれるんだから」と、眠り姫は耳元で甘くささやくのだ。
 私は言う。「きみに抱かれて眠れるんだったら、そのままでもいいさ。文句なんか、ないよ…」
 そんなふうに覚悟しても、翌日という日は、当たり前のように、またやってくる。目が覚めると、真っ暗だった。時計を見ると午後9時近く。土曜日は終わっていた。いったい何時間眠っていたのだろう。居間に入ると、浦和レッズと横浜マリノスの試合をテレビでやっていた。

<朝の青は海の青>東京湾近く、日の出前

| | コメント (4) | トラックバック (0)

人妻とデート

 金曜日、ひょんなことから友人のご内儀ミキちゃんと、二人きりで出かけることになった。師走にポッカリ空いた平日の昼間、いったい何やってんだかと思いつつも、中村獅童が本物なのかを見極める、絶好のチャンスを見逃す手はない。『新橋演舞場』の正面最前列に陣取れるのは、歌舞伎通のミキちゃんのお蔭だ。
 中村獅童? まだまだでしょう。立ち回りもぎこちなく、立ち居振る舞いの“決め”にも厚みなく、声に艶(つや)もない。ただ、この役者は自分自身を知っている。演じる自分を客観的に見ている別の人格、薄っぺらな自意識ではない別の人格を持ちうる才がある。賢い役者の証(あかし)を持つ中村獅童はさらに化ける可能性あり。
 「丹下左膳」は脇役充実、テンポよく、ギャグまで品よくまとまっていた。あれだけ単純極まりない筋立てであるにも関わらず、客をほどよく楽しませる手腕は、すごい。大衆の心根をグッとつかんで離さない、可もなく不可もない一流のエンターテインメントの奥深さ、舞台のすごさを感じ入った『新橋演舞場』だった。楽日は12月26日。
 宵の口から友人のかみさんと二人で一杯、というわけにもいかず、一人、代々木の「digital stage」に向かう。それから午後10時近くまで、打ち合わせで缶詰になろうとは、そのときは夢にも思っていなかった。長い長い会議だったが、これほど収穫の多かった会議はめったにないだろう。ローカスのK女史とデザイナーN女史と軽く祝杯をあげ、終電で帰る。意識おさまらず、朝まで一人飲む。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004年12月 9日 (木)

バッチリ星人侵入せり!

 このにさんち、こまっていることがある。ぶんしょうをかくとき、ひらがな率がふえて、おしごとにならないのだ。その原因は、きっと、きっと、あいつのせい。水天宮にムフフッと侵入してきたバッチリ星人。うん、間違いない。友人F氏は罪つくり。でも、今日もほのぼのなのだ。ムフフッ!なのだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004年12月 8日 (水)

夜のイチョウ2

227_2797c
 濡れた地面に這いつくばりシャッターを切ると、あの三人が遠くに見えた。

228_2803c2
 ひとりが近づいてきて立ち止まったのは、霧の道を見つけたからか…。
 降り注ぐ小さな水滴の向こうに、この人は何を見ていたのだろう。

228_2808c
 そうして、あの三人はひと言も発せず、霧の向こうへ去って行った…。
 12月5日深夜、神宮外苑。あの三人は確かにいた。ただし、
 物語は真実を通り越してしまうこともある。
 ご注意されたし。

 *毎度のことですが、写真をクリックすると大きな写真がポップアップします。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2004年12月 5日 (日)

夜のイチョウ

041204_1
 落ち葉に降りしきる雨冷たくも秋のなごりを惜しむ人 (銀杏並木、神宮外苑)

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2004年12月 2日 (木)

どうした『長崎楼』

 『長崎楼』は日本橋で営業している、ちゃんぽん、皿うどんの専門店だ。

 現在の店舗とは違うが、同じ日本橋にあった『長崎楼』(初代)で食べたちゃんぽんは、本当に旨かった。もう十五年前の話だ。長崎の大衆食堂の味。これこそ「ちゃんぽん」だった。
 肉と海鮮が混在する、もやし中心の野菜炒めに、海鮮を隠し味にした豚鳥ベースのスープをジャジャーと流し入れ、ちゃんぽん玉をぶっこむ。温まったら出来上がり。もやしと海鮮がポイント。ちゃんぽん玉が手に入らないときは、ゆでたスパゲティを使うとよい。
 ちゃんぽんだったら『長崎楼』。皿うどんなら日本橋に行け。ずっと、そう思ってきた。とはいえ残念ながら、日本橋近辺にはなかなか用がない。店舗が移転したことも知らぬまま、無沙汰続き。二三度探してはみたが見つかるわけもない。そうこうしているうちに、十五年という月日が流れてしまったのだ。

 ひと月ほど前、ふと思い立ち、ウェブで探すと、『長崎楼』はすぐに見つかった。日本橋三越からすぐ近く。自宅から歩いていける範囲ではないか! 何やってんだろ、と思う。

 こうして人は歳を重ねていく。目の前の締め切りに追われ、優先順位の高い、大切にしたい人ともうっかりご無沙汰を続け、知らぬ間に取り返しがつかぬ距離ができてしまうのだ。距離を無理に近づけようとしなければ、心地よい関係が戻ってくる可能性はあるが、もう元には戻らない。戻してはならない。戻そうとすると、関係そのものが壊れてしまうから。近い距離で関係を始めるなら、できるだけ歳が若いほうがいい。孫だけでなく、甥や姪、人間に限らず、幼子をかわいいと感じるのは、より近い距離で関係を持てるから、かもしれない。
 ウェブはその距離感覚を麻痺させる不思議な空間だ。うっかりしていると、すぐになくしてしまう時間や関係を、少しだけでも拾えるように、ウェブをうまく活用できるといい。

 話がそれてしまった。で、『長崎楼』だが、その翌日の夕方、さっそく訪ねたのだった。まだ営業時間内のはずだったが「準備中」の札がかかっている。その横に「本日、麺売り切れ」の貼紙。引き戸越しに中を覗くと、まだ客は残っている。まあ、麺がなければしかたない。帰ろう。地下一階からの階段を登ろうとしたとき、引き戸が開き、若い女将が出てきた。彼女から丁寧に詫びの言葉をいただく。
 気をよくした私は、翌日、また『長崎楼』を訪ねた。ランチどきを少し外した午後1時半だったが、「麺売り切れ」の貼紙に、またしても退散となった。頭の中は、ちゃんぽん。どうしてくれる。
 だったら、と数日後、開店直後の11時半に『長崎楼』を襲撃。めでたく食すことができたのだった。

 し、しかし、そこは昔の『長崎楼』ではなかった。もやしラーメンを注文してはいないし、皿うどんに芥子(からし)をつけるなんざあ、あんたは素人か、それでこのお値段はないだろ、とブチ切れそうになる。その日は、その足で日本橋三越の地下に行き、『みろくや』の皿うどんとちゃんぽんを三つずつ、買って帰った。
 中国からの貧乏留学生のために、長崎のとある食堂のおばちゃんが考案してくれたのが、ちゃんぽんの始まり。普通に作れば、食材を活かした栄養たっぷりの美味しいちゃんぽんが、しかも安価でできるはず。
 三度目にやっとお預けを許され、十五年間期待し続けた分、その評価は厳しくもなる。その分を大幅にさっぴいたとしても、あまりの情けない変りように、あえて名指しで言わせてもらう。どうした『長崎楼』。しっかりせい。 

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2004年12月 1日 (水)

気分直しにミッキーマウス

225_2576d
 子供じゃないけど…

■昨日、まだリボンをつけたままのポインセチアが寂しそうだったので、12月に入る前だというのに、押入れから電動のミュージックボックスを引っ張り出し、ポインセチアの横に置いた。濃い緑色が全体に塗られたミュージックボックスの扉には、でっかいクリスマスツリーを飾りつけしているミッキー・マウスやミニー、ドナルド・ダックたちの絵が踊っている。部屋のこのあたりだけは、もうクリスマス一色。ネオンでイルミネーションするのは、もう少し先だな。
■ミュージックボックスの名前は「Mickey's Musical Toy Chest」。なんだ、おもちゃじゃないか、とバカにしないでほしい。これがけっこうスゴイのだから。
■ミュージックボックスの扉を上に押し上げてあけると、目に飛び込んでくるのは、真っ赤な絨毯の壇上に並ぶ5人の正装した演奏者たち。なにせミッキーやミニーたちが両手で持っているのは、大きなハンマー。演奏者の左右に立てられた鉄琴を、このハンマーが打ち鳴らすのだ。

■スイッチを入れてみよう。一人目がハンマーを振り回して鉄琴を打つと、二人目、三人目が鉄琴を打ち、メロディが奏でられていく。演奏されるのは、もちろん、クリスマスソング。
■一人で2つの音を担当しているため、演奏者たちはけっこう忙しい。早いテンポで同じ音を連打した後は、自慢げにさえ見える。レパートリは40曲ほど。スイッチを切らない限り、繰り返し演奏してくれる。もちろん、途中でお休みさせることもできる。
■ただ、曲の順番を変えたり、曲目をリクエストすることはできない。それにボリュームも調整できない。音量は大きく鉄琴の金属音は響き渡るので、深夜の使用は要注意。おもちゃなので、そこは大目に見てほしい。過分の要求をすると、へそを曲げてしまうのでね。

■ポインセチアのお蔭で、ずいぶん早い出番となってしまった今年のミュージック・ボックス。せっかくだから、歳が暮れるまで歌詞カード片手に毎日歌って、気分を盛り上げてみましょうかねえ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2004年11月 | トップページ | 2005年1月 »