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2005年7月 8日 (金)

基準はどこにある

「待ってました!」

浪曲師 国本武春がやっと民放に登場するようになった。

先日は「東京12チャンネル」で、バイオリニスト川井郁子との共演。見ごたえも、聴きごたえもあった。共演したのは一曲だけだったため、彼の力量が十分に発揮できたわけではない。とはいえ、国本がこう明言したくだりは、迫力があった。

「楽曲の良し悪しや音楽を楽しむ基準は自分自身にあるんですよ」

しがらみが増すほどに、金銭的な豊かさと社会的な優位性が増すほどに、他を受け入れる度量をせばめ、自身の作法に固執し、知らぬまに貴重な感性を鈍化させてしまうエセ大家たち。その本当はバレバレのブランドに大枚はたき、ギリギリ所有することで自身の位置づけが高められたとほくそ笑み、それでも付いていこうとするマジョリティ。

崖っぷちで踊るさまは危うく、こっけいにさえ見える。しかし、そこで自分が踊るのも、けっこう快感だったりするから、たちが悪い。

良し悪しや楽しさの基準を、どうしたら鈍らせないで持ち続けることができるのだろう。どうしたら感性を自分で磨けるのだろう。そういう意味で、日本には独自の精神世界があるから驚く。それは、茶道。その精神を忘れまいと努力しているつもりなのだが、生きる糧を得るための日常と、歩んできた道への自負と高慢が立ちはだかる。

時を追って評価が高まる中、国本武春は、感性が鈍っていくかもしれぬ自身への戒めとして、あの言葉を番組で語った。そんな気がしてならない。

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