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2005年9月30日 (金)

宴の合間に仕事する

P1000008a■今日は二日酔いでアルコールをプンプンさせたまま外出。湯島にあるL出版社にて新しい書籍のプレゼンを編集者とデザイナーの前でおこなう。書籍のタイトルと構成、表紙のデザインまで決定。ああ、もう書くばかり。逃げられない。
■同行したスタッフからいきなり「酒臭い」と言われ、会議におもむく途上で酒を抜く。「伊右衛門」2本を飲み干し、口臭消し4粒をかみくだき、スタッフから体臭消しスプレーを振り掛けられ、なんとか事なきをえた。
■帰社し二時間ほど執筆すると、夕刻からまた外出。友人のT氏が、ある雑誌の編集長になったことを祝う内輪のパーティに出席するためだ。
■東京駅地下一階「黒塀横町」の焼肉屋「吾照里」(おじょり)でくだを巻く。その後「スタバ」に流れ、徒歩で帰宅す。東京駅から日本橋、京橋を抜け右折し、茅場町から兜町「東京証券取引所」(写真)に向かう。そこから人形町は目と鼻の先。「Pentel」ビルをかすめて帰宅。
■二十分の短い散歩では腹ごなし十分とならずも、秋の到来を感じさせる夜風は心地良かった。

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2005年9月29日 (木)

同じ月のはずだが

P1000020d■ちょうど十日前の早朝、西の空に沈み行くでかい月を見た。デジカメもなくフィルムも切らしていたため、携帯電話のカメラで撮る。被写体が遠すぎて小さな球となる。
■これが前夜の雲ひとつない空を淡い色に染め、人の心を揺すり弄(もてあそ)んだ中秋の名月とはねえ。妖気を出しつくした残骸に見える。
■しばらくしてビルの向こうに隠れ始めた丸い球は、三分ほどで姿を消した。午前5時33分のことだった。

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2005年9月27日 (火)

カレンダー販売はまだ手探り

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2006年3月・4月のカレンダー
コロニア・グエル地下教会

■判断が下されるとき迫る
 カレンダーのタイトルは「アントニ・ガウディ 2006年度カレンダー」。写真の枚数は7枚。カレンダー制作は今回で4年目になるが、だんだんサイズが大きくなり、今回はB2の大判サイズ。いや、ホントにデカイ! 自分でも驚いている。下手をすると部屋の景観を変えてしまうほどの存在にもなりかねない。注意しろ!
 そんな悪さをしないよう、それなりの写真を撮影し選択した、はずだ。ネットショップの中には9月22日から早々にカレンダーを出荷し始めたところもある。こちらからは10月3日から送付を始める予定だ。カレンダーを受け取った人たちがどんな判断をくだすか、期待と不安でいっぱいだ。

■最初は友人と知人だけに配布した
 ガウディ建築のカレンダー制作するのは、今年で4回目。
 1回目は、友人や知人に無料で配布した。意外に好評だったため、残った部数を自社サイトで販売した。売れた部数はわずかだったが、直接販売することによって多くのことを学んだ。ガウディ建築に興味を持つ方々と知り合うことができたこと。知名度が低いと売れないこと。注文受付のインターフェイスを上げないと売れないこと、などなど。
 2回目は、少し販売を意識して制作したが、販売は自社サイトのみで行った。前年度の2倍近く販売した。その年はガウディ生誕150年で日本でも展覧会が開催され、その展示会場で販売していただいた。驚いたことに、展示会での販売部数がサイトでの販売を上回った。

■昨年から販売を始めたが大失敗
 3回目の昨年は、販社を介してカレンダーを販売した。そのために専任の人材をあてた。販売部数は倍増したが、予測の半分にも達せず大きな赤字を抱える結果となってしまった。
 その理由は調査不足と販売する姿勢にあった。「このくらいでいいでしょ」という半端な仕事をする環境を提供してしまったからだ。動いてくれた人物は元々はしっかりした仕事をする。
 すべての落ち度はこちらにあった。

■リスクを背負うと覚悟する
 今年はこれまでの反省を踏まえ、徹底した調査を行った。その結果、流通にもやはり王道があることが判明した。そこで、その販社と直接交渉を持った。
 今回依頼した販社には恐れ入った。長年に渡って培(つちか)ってきた販売ネットワークの堅牢さや、製品を販売する真摯な姿勢に脱帽した。使う人がどんなカレンダーを求めているのか、企画段階から貴重なアドバイスを何度となく受けた。
 リスクの背負い方もまったく違う。昨年は「委託販売」という契約であったため、売れた部数は翌年2月末に集計され、4月末に支払いとなった。それに対し、今回は「買取販売」。販売が予測される部数を販社がまとめて買い取り、その二ヵ月後に支払いを立てる。実際に販売が開始される前に支払われるのだ。
 リスクを背負った今回の販社は、昨年とは比較にならない動きをしている。まったく違う。

■写真撮影も会社もかわった
 で、カレンダー作ってどうだったのよ? と、自問してみると…
 これまで撮りためてきた一万枚ほどのガウディ建築の写真を、B2大判サイズ、いわゆるポスターサイズにまで目いっぱい引き伸ばしたらどうなるか、印刷したらどうなるか、その検証ができたことは、これからの写真撮影のあり方が根本的に問われる、いい機会だった。
 より正確なマーケティングを行い、読めない数字は自分で背負う勇気を持てる企業か、そうでないか。ガウディ・カレンダーというひとつの製品を販売するにあたり、社会に貢献し続ける企業のあり方を考えさせられた。

■カレンダーは自信作?!
 で、カレンダーのできはどうよ? と、問われると…。
 ちょっとだけ胸を張ってお勧めできるものに仕上がった気がしている。手間ひまかけず一瞬にして簡単に仕上がるときこそ、本当は最高のものができるはず。今回は残念ながら、写真の選択と仕上げに、手間と時間が膨大にかかってしまった。要するに無難なレベルに仕上がっている。

■で、みんな売るんかい?
 いえ、そんなあ…。サンプルとして10月3日から友人たちに配布することにしている。もし、届かなかったら、友だちじゃなかったと思ってよい、じゃなく、10月中旬を過ぎても届かなかったら、「まだ届かないじゃないぞー!」とご一報いただければ、詫び状と共にカレンダーをお送りする。

■直接注文してもらったほうがありがたい
 正直なところ、amazonbk1、そのほか20社ほどあるネットショップや実店舗で購入してもらったほうが、市場の影響力という点では大きい。
 別の見方をすると、うちのサイトから直接注文してもらったほうが、ユーザーの状況を肌で感じることができるという点で嬉しい。たとえば、送付先と送付履歴が手元にデータとして残るからだ。また、ユーザーの要求に柔軟に対応ができるということもある。たとえば、何部かまとめて購入したいときは割り引きもできるし、誰かに贈りたいのであればこちらから発送することも予定している。
 まあ、どこから入手していただこうとメリットはあるので、どちらも正解といえる。

 ああ、どんどん商売口調になっていく。いい加減、ここらあたりでお開きにしましょう。

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2005年9月24日 (土)

しかめっ面には置き鏡

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視線を感じて振り向いた。

眉間(みけん)に縦じわ寄せたオヤジが一人。
なに深刻ぶってんだよ、と片眉(かたまゆ)上げると、
鏡の中の顔がニヤリと笑った。

本棚前で夜なべするのは今夜で最後。
「もう最後にしよう」とつぶやいて
半月過ぎた。

そんな顔をしていたんかい、お前。
そんなしけた顔じゃあ運も逃げてくぞ。
ほら、笑えよ。笑ってみろよ。
笑ってりゃあ、なんとかなる。

鏡が笑い、しかめっ面も笑った。

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2005年9月17日 (土)

桜田じゃないのよ

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2006年版カレンダーの表紙
深夜のカサ・バトリョ

■桜田淳子は嫌いじゃないが、桜田(サクラダ)では困るのだ。
■この四年ほど毎年、「ガウディ・カレンダー」を発行している。今回はトライエックスというカレンダー専門の企画販売会社、要するに問屋さんと相談しながら作った。その問屋さんは何かと動きが早くソツがない。amazonやbk1といったネットショップへも早々に出展された。注文の予約も順調らしい。

■昨日、友人からこんなメールが届いた。「amazonで『注目のアートカレンダー』として紹介されてるよ!」おお、それはスゴイ、そりゃあ嬉しいよ、と、カレンダーのページを見てみた。しかし、そのページで見た内容は、こりゃいかん。
■amazonやbk1に掲載されているカレンダーの写真は古くて暗い画像のままだし、説明文も間違っているではないか。
「スペインが生んだ天才建築家。サクラダファミリアの幻想に浸る!」
とある。しかし、「サクラダ(桜田)」ではない、「サグラダ(聖)」でないと。ガウディ好きにとっては許されざるミス。カレンダーもそれくらい粗悪なのね、と思われれしまうのは、心外である。

■というわけで、週末に問屋さんに連絡を入れた。「ウェブ担当者の入力ミス。申し訳ない。すぐに訂正させましょう」という。
■しかし、問題はそれだけではない。ぜんぶで7枚ある写真にはサグラダ・ファミリアの写真は1枚だけ。他の6枚には別の建築物が収められている。とすれば、メッセージ自体が間違っていることになる。そこで、こちらからしかるべきメッセージをメールしたら変更は可能かと問うと、「喜んで!」との声が返ってきた。

■そんなこんなで、週明けのカレンダーには「出版社/著者からのメッセージ」が書き換えられることになる。
■桜田じゃないのよ。

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2005年9月11日 (日)

アソーレスの島々

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<鼻欠け豚ミューとアソーレスへ行くか…>

■土曜日の夕刻、都営新宿線に乗り新宿へ出る。『京王プラザホテル』3階にある喫茶『デュエット』で人と会い、三時間ほどで帰宅す。
■行き帰りの電車の中で、「今日は休日だから…」とMDプレーヤーのイヤフォンを耳に突っ込み、マドレデウスの「アソーレスの島々」と「サンタ・カタリーナの見晴台」という器楽曲を繰り返し聞く。
■アソーレスは大西洋に浮かぶヨーロッパ最西端の火山島群。神が宿るといわれる島々を描いたマドレデウスの演奏を、都営新宿線の中で聴いていると、乗り合わせた乗客たちの表情が穏やかに見える。
■先週の土曜日、郡山にてチェロを弾く人あり。マドレデウスを知る彼女が演奏するこの楽曲を聴いてみたい、と車中でふと思った。

○アソーレスの島々“As Ilhas dos Açores”
 アルバム「海と旋律」(1990録音/1993日本発売)に収録

○サンタ・カタリーナの見晴台“Miradouro de Santa Catarina”
 アルバム「アインダ」(1994録音/1995日本発売)に収録

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2005年9月 9日 (金)

出不精は

■デブ症。

■今週は、ずっと外出していない。
■そのわけは、先週土曜日に出場した野球の試合で、ヒットを1本も打てず、いじけていたからではない。迫り来る締め切りに恐れをなし、書斎に引きこもって原稿を書いていたから、でもない。ちゃんとした自宅での食事に外食する気も起こらなかった、というわけでもない。気がつくと『相棒』の再放送が始まり、台風が来て『名探偵モンク』の最終回が終わり、そして台風が去り、週末になっていた、というだけの話だ。
■いや、実を言うと一度だけ外出した。それは、台風が去った夕刻。茜色(あかねいろ)に染まる西の空をきみも見ただろう。心洗われたはずだ。食事時にも関わらず、フィルムカメラを引っ張り出してシャッターを切った。

<窓から西の空を見る>
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<その二十分後…>
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■そして近くの『写真屋さん55』に走り、現像をお願いする。現像フィルムの受取証に打刻された時刻を見ると、弊店時間を10分ほど過ぎている。えっ?という顔をしたら、「今日は残業になるんで、大丈夫です。お待ちしてますから」と、なじみの店員が言うではないか。
■インターネットと電話とファクスがあれば、外出しなくても仕事は進められる。でも、やっぱり外に出て、人に触れないと、心までデブになってしまう気がした。

■ここにアップした写真はネガフィルムを自分でスキャンしたもの。フィルムスキャンするときの初期設定では、記憶に残っていた色と違っていたため、色調整をしながら取り込んでいる。■微妙な色を完璧に再現する撮影技術がないし、現像までのタイムラグに映像の記憶が追いつかないため、撮影結果をその場で確認しながら撮影できるデジタルカメラが、また欲しくなってきた。■とはいえ、現像までの時間の差を埋めるために、目の中に入ってくる映像を記憶に留めようと、以前にもましてじっと見つめる習慣ができたことは、フィルムカメラだけで撮影を始めた収穫といえる。デジタルカメラはほしいが、もうしばらく我慢しようと決めている。■それに、フィルムでなければ出せない色合いをやっと判別できるようになってきた気がする。デジタルとフィルムを意図して使い分けられるようになるといいのだが、その日はまだまだ先のようだ。

■友人たちからのコメントが入っていた。犬を飼うとイヤでも外出するようになりますよ、という愛犬と暮らすクラリス嬢。
■夏の暑さは危険!と心に弁解してるうちに心デブになり、先日デパートの催しで体脂肪をはかってもらったら25、内臓についた脂肪23→デブのレベルと言われショックだったというデブ症のT氏。
■同じく最近はほとんど外にでておらず、心も身体もデブというmura氏。(近いうちにボーリング対決しましょう。)
■かたや25キロの山歩きを楽しむマンボウ氏。(前に痛めたのは足首のアキレスだが、膝に負担がかかっているようでちょっと心配。無理しちゃだめでっせ。)
■見たままに写真を撮ることができたり、イメージのように光をコントロールするってのは、なかなか大変な技術。デジカメの利便さは、デジカメを知った上でそれを手放すからこそ改めて分かるものかもしれません。初心に戻って小さなコンパクトデジカメをぜひ、と薦めてくれるinoue氏。(ご指摘のように、次にデジタルを手にするときは、一眼レフだけでなくコンパクトカメラも同時に使い始めるつもりです。)

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2005年9月 3日 (土)

日本小股党って何さ?

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<赤坂水戸幸ビルに集まった友人たち>

■「日本小股党」という政党を結成する夢を見た。
■党の結成趣旨から行動戦略、7カ条に及ぶ政策まで、ひと~つ、ふにゃらら、ふた~つ、ふにゃふにゃと、あっしは壇上に立ち、右手のこぶしをときおり振り上げながら、延々と論を展開するじゃあ、ありませんか。
■なかなかやるな、と自画自賛していたら、目が覚めた。ベッドに起き上がった瞬間、ほとんどの記憶が消失。あいやあ、スゴイこと言ってた気がするが、記憶に残ったのは「ニッポンコマタトウ」という言葉ばかり。いや、情けない、というか、もったいない!

■衆議院議員選挙が始まり、早朝から候補者の名前ばかりが連呼されるスピーカーからの騒音に、きっと腹を立てていたに違いない。眠っていても五感は刺激されるのだ。
■で、なんで小股なのか、というと…… 二日連チャンの赤坂宴会で「小股論」を燃え上がらせた残り火が、まだくすぶっていたからだ、とすぐに思い当たった。「小股」で政党ができるはずはない。もともと政治家になる気なんてさらさらない。その資質も意欲も人脈もない。しかし、投票には行く。
■で、なんで小股なのか、というと…… その定義は諸説ある。少なくとも言えることは、小股というものが具有されるのは女性のみであること。小股を容易に判別できるのは、女性の正面からでなく後方からのみであること、のふたつ。つまり、女性が自分では判別が難しいという厄介な存在なのだ。また、元禄時代の粋な女を称して「小股の切れ上がった女」と表現されることがあるが、この表現は江戸時代を描いた現代作家の言い回しであって、庶民の間で日常使われていた、という研究報告をあっしは知らない。

■エスカレーターに乗ると、あっしの場合、電車で外出することが少ないので、いろいろと興味しんしんになる。前に立っている人の靴底の減り方とか、服装のコーディネーション、臭い、姿勢とか観察しながら、人物の疲労度や職業、置かれた状況など、あれやこれやとつい想像してしまうのだ。
■エスカレーターに乗って、上の方を見るのはあまり品のいいことではない。しかし、永田町とか御茶ノ水とかとてもとても長いエスカレーターに乗ると、時間を持て余すではないか。つい、目が上に…いってしまう。そんなとき、美しい小股を秘めている女性を目にすると、もう目のやり場に困ってしまうのだ。それは、短いスカートからパンチラ見ようなんて青臭い世界とは違う。アンタッチャブルな世界なのである。

■ちょっと話が飛んでしまうが、スペインに建築物を撮影しに行くことがある。かの地では異なる美意識のスイッチが入ることを、ここに明記しておきたい。なぜ美意識が変わるかというと、行き交うほとんどの女性に、美しい小股が備わっているからだ。デフォルトが小股美人ばかりだと、特に凝視することも意識することもなく、心地いい世界にひたりながら、シャッターを押すことに集中できる。それほど、小股はあっしにとって重要な存在らしいのだ。
■言っておくが、小股美人とは、足が長いとか、膝がまっすぐに伸びているとか、スタイルがいいとか、そんなステレオタイプな画一化された低次元な世界とは別のところに存在する。
■「日本小股党」なんて政治結社は存在するに及ばない。選挙演説しているスピーカーからのうるさい声に触発されて見た単なる悪夢にすぎないからだ。とはいえ、男と生まれたからには、小股の神秘を追い求めるべきかと、強く強く心に刻み込むのである。

■また、話が飛んでしまうが、子供のころ、あっしは相撲がけっこう強く、小柄だったが「うっちゃり」とか「首投げ」とか大技が好きだった。しかし、体力勝負で押してくる相手には、やむを得ず「内掛け」とか「小股すくい」という小技を仕掛けることもあった。その「小股すくい」だが、その「小股」というのは、膝から下の部分だったと、最近気がつかされた。ここに詳しい話が書いてある(↓)。http://www.ne.jp/asahi/haname/win-game/haname/essai/article/komata.htm
■とはいえ、「いやあ、小股の切れ上がったいい女じゃねえかい」なんて言葉を時代劇や舞台で聞いたとき、着物のすそからチラリと見えた膝下がなんともすらりと美しい、なんてシーンを見た記憶もない。とすれば、舞台などで使われる「小股の切れ上がったいい女」という表現には、「恋愛への感応力が良さげに見えるさっぱりした小粋な女」(かぶ吉)という意味が隠れているようだ。

■あっしが「小股美人」と称するのは、実はもっと物理的。正面より後ろから見たときのほうが足が長く見えるパンツ姿の女性っているだろう。股の上に小さな股がある。いわばターボエンジンのような「もうひとつの小さな股」こそ「小股」ではないか、と思う。

■じゃあ、その小股がどうしてできるのか。
■「はい、お尻をもっとしめて!」と、モデルの歩行訓練のときにトレーナーが言っていたことを、テレビで見たことがある。「お尻をしめて」は「ケツの穴をしめて」と同じ。ヨガの訓練でもやる。どんな穴でも、締める努力を怠るとドンドン緩むのだ。
■というわけで、「ケツの穴をキュキュッとしめ、背筋を伸ばして闊歩するちょっと細身のいい女」こそ、あっしにとっての「小股の切れ上がったいい女」らしい。彼女たちはそれなりに努力してる。そんな努力してる現代の女性を見ると、「ああた、小股の切れ上がったいい女だよ」とつぶやいてしまのだ。

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