« 勝鬨橋 | トップページ | 鯖寿司が旨い時 »

2005年12月20日 (火)

アマデウス

IMG_20051219_772c

 レーザーディスク(LD)はもう古い。今となってはDVDに取って替わられてしまったが、何年か前にLDを買い漁ったことがある。『めまい』『第三の男』『市民ケーン』『真夜中のカウボーイ』『パルプ・フィクション』『U2ライブ』『風の谷のナウシカ』……そして『アマデウス』。アマデウスはご存知の通り、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトのこと。

 彼の辞書に「修正」という言葉も「無修正」という言葉もない。すべての楽曲に修正を加えることなく、一発で完璧な形を具現化できたからだ。本当にそうだったのか、今となっては誰も真実を語れない。とはいえ、映画『アマデウス』では、宮廷作曲家サリエリとの違いを際立たせるために、モーツァルトを修正とは無縁の天才作曲家として描いている。多分、そうなのだろう…。

 ネットで頻繁に目にする「無修正」という言葉が、やはり、どうしても引っかかる。「私は写真界のモーツァルトなのよん」という声が聞こえてしまうからだ。本人にその気がなくとも、「無修正」という言葉がそんな印象を抱かせてしまうことを知るべきだろう。ちょっと意地悪かもしれないが、天才写真家気取りは辞めてほしい、と思う。
 撮った写真を自分でどう評価するかが重要なことではないか。デジタルカメラの解像度が飛躍的に上がり、撮った本人が気が付かなかったディテールまでも、浮き出させてしまうようになった。ディテールまでしっかり予測して撮影したなんて、よほどの撮影技術と視力がなければできない。
 ウソをついてはいけない。プロの写真家がファインダーを覗いて気を付けることは、被写体の魅力を引き出すことは当たり前だが、素人と根本的に違うのは、その背景と四隅に入れるフレーム作り。そのための最適なアングルや画角をプロは直感的に探し当て、シャッターを切る。そこまでなのだから…。

 そもそも写真というものは(なんて語ることは説教臭くて大嫌いなのだが)、時間と空間を切り取って押し込め、見過ごしてしまった、あるいは、あり得ないはずの存在を具現化する、とんでもないツールなのだ。撮影した写真に驚きの声を発することこそ自然なことではないだろうか。色調や形を大きく変更するような写真の改ざんは論外だが、撮影した写真を見てバリバリと修正すればいい。一歩近づいて撮影した写真みたいに、トリミングすればいい。肉眼では見えていた暗く沈んだ画像を、少し明るくして見えるようにすればいいのだ。

 お歳暮にいただいたアマリリスの美しさに見とれ、しばらく眺めていたら、それが造花だと気が付き驚いた。造花であることに気が付かなかった己の貧弱な眼力と、何度も何度も修正が繰り返され洗練された造花のフォルムに…。まあ、推敲しなくても、編集が入らなくても、一発で完璧な原稿を書き上げることができないその程度の書き手の愚痴として、聞き流してもらうとありがたい。

|

« 勝鬨橋 | トップページ | 鯖寿司が旨い時 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/49806/7706613

この記事へのトラックバック一覧です: アマデウス:

« 勝鬨橋 | トップページ | 鯖寿司が旨い時 »