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2006年5月24日 (水)

ガーキンとガウディ

■形が似ている。
ノーマン・フォスターが設計した「ガーキン」は、百年前にアントーニ・ガウディが企画したが実現しなかったニューヨーク摩天楼ビルに似ている。もちろん、設計思想は異なるだろうし、螺旋を駆使した設計・施工は現代でなければ実現しえないのだろう。
■「ガーキン」はロンドンに建つ「スイス・リ本社ビル」の別名。ガーキン(Gherkin)とは、ミニきゅうりのことらしい。セント・メアリー・アックス30番地に建つ。高さは180メートル。偶然なことに、この高さは、サグラダ・ファミリア栄光の門にそびえるであろう鐘塔と同じだ。
■どちらも見てみたい。

■(補足)バルセロナには、ガーキンそっくりの近代建築物がある。『トーレ・アグバー(Torre Agbar)』はノーマン・フォスターの設計ではない。ジャン・ヌーヴェルという建築家だ。「トーレ・アグバー」と「ガーキン」は、ほぼ同じ頃に建った。
■たとえば、グエル公園から地中海方面を眺めてバルセロナを見渡すと、すごく目立つ建築物が3つ目に入ってくる。右の海岸沿いに見えるのは、矩形をしたのっぽのツインタワー。正面手前には、トウモロコシを並べたようなサグラダ・ファミリアが見える。そして、その左、海岸近くには、まるで砲弾のようなトーレ・アグバーがピョコンと突き出している。

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ガウディのニューヨーク・グランドホテル計画案(1908年)
このデッサンはガウディの弟子マタマラによる(1952年)
この資料は『ガウディ全仕事』より抜粋したもの

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2006年5月19日 (金)

サラリーマンNEO

見るべし! サラリーマンNEO

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2006年5月17日 (水)

漢字忘れ

 「おとといの晩ご飯、あなたは何を食べましたか?」
 と、聞かれたら、「覚えてない」と、即答しよう。覚えておくべきことは、他にたくさんある。連綿とした流れに乗せられた記憶だけ楽しんでいればいいのだ。

_0012865c  先日、手帳に“思考”という語句を書こうとしたとき、 “考”という文字を急に思い出せなくなった。冠の部分までは出てくるのだが、下が出てこないのだ。

 こんなに頻繁に使っている漢字を忘れるなんて、なぜだろう。ボケの兆候か。まあ、それでもいい。どうせ、すぐに思い出せるだろう。と、ペンを持ったまま待っていても、その漢字がでてこない。
 う~む。“こう”と読むのだから“巧”の右側の文字に似ていたよな、と、あてがってみたが。違う。似ているが、どことなく違う。工、交、光、…と、同じ読みから連想するが、まったく違う。“子”でも“日”でもない。“ヒ”だと老人の“老”になってしまうじゃないか!(苦笑)

 そうして、しばらく試行錯誤したが、しかたなく観念した。パソコンで漢字変換して確かめる。“思考”と出た。うん、そうか。そうだ、この文字だ。普通にこの文字だ。
 なぜ、“与”から横棒を取ったみたいな文字を使うんだろ? “巧”の右側の文字が変形したものなのか? それに、このへんてこな文字が使われている漢字は、他に見当たらない。“考”を見つめていたら、初めて出会ったような気がしてきた。漢字を記憶するメカニズムは、いったいどうなってるんだろう。

 おとといの晩に“蕎麦”を食べたことを忘れてもいい。“蕎麦”という文字をすぐに思い出せなくてもいい。“天ぷら蕎麦 九百円“の色あせたお品書きと、いつもニッコリ迎えてくれる蕎麦屋のお姉ちゃんの笑顔が記憶に刻み込まれていれば、“蕎麦”という文字は忘れようにも忘れない。

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2006年5月16日 (火)

逝く人、返る人

月曜日は晴れ。汗ばむほどに気温も上がる。
早朝に目覚め、手を合わせる。

生き返ってくれてありがとう。

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<道がまぶしい>

昼に外出す。狭い路地を埋め尽くす黒衣を見た。あけ放ったガラスの引き戸から流れてくるのは、線香の香りとモノトーンな読経。昨日逝ったのは、呉服問屋のご隠居らしい。その葬儀だ。立ち止まり、手を合わせ、祈る。下岡という姓に、写真術と呉服との関係をふと思う。今日は蕎麦だ。

夕刻に帰宅。メールをチェックする。連載記事のレイアウトがPDFファイルで添付されていた。準備していた原稿を、ただちにメールにて送付す。

夜は企画調査。午前二時、気絶。

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2006年5月14日 (日)

頻尿

 頻尿みたいになかなか終わらぬアイデア出し。ひと休みして最初の章を書く。ラフでいい。とにかく流れをつくる。
 流れができるとアイデアが動き出す。抜けも見える。書きたいことが見えてくるときもある。私は天才でもないし、頻尿でもない。

 週末は小雨もよう。降るなら思いっきり降れよ、雨。小雨もようじゃ傘も野暮。散歩も行けぬ。

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<隣の塔屋外>

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2006年5月12日 (金)

湿りなし

■久々に晴れる。

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<隣の誰かが干した傘>

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2006年5月11日 (木)

『ガウディの夢』(NHK)

 「天才か奇人か」という言葉がやはり気になった。

 NHKで人気の教養番組『世界遺産の旅』の中に 『探検ロマン世界遺産』というシリーズがある。先日(2006年5月6日)、ガウディを特集した番組「ガウディの夢~スペイン・バルセロナ~」が放送された。
 制作意図が明確で分かりやすく、カメラワークも落ち着いたメリハリがあり、安心して楽しむことができた。ハイビジョン放送が広まり、カメラマンが撮影技術を切磋琢磨している証かもしれない。
 番組は総じて良くできてはいたが、使われていた言葉が気になってしまった。誰のために何をどのように伝えるのか、情報の発信者が大衆をどのようにとらえているのか、自分がブログや書籍で情報を発信するときにどうあるべきか、考えさせられる番組だった。

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<できたばかりの来年度カレンダーの表紙(ベータ版)>

 テレビは圧倒的な影響力を持っている。ナレーションや案内人のアナウンサーが使う言葉は、厳選されてしかるべきだし、そうしているはず。とはいえ、サグラダ・ファミリア聖堂を紹介したときの言葉づかいには疑問が残る。

 “聖堂の壁面をカタツムリやヘビなどのグロテスクな動物がのた打ち回り、とても神聖な教会の彫刻とは思えません。ガウディはなぜ聖堂にこのような彫刻を残したのでしょうか?”

 また、カサ・バトリョを見たときに案内人が発した言葉にも、真意とはかけ離れた印象を与える気がする。確かに、その案内人は現場でそのように感じたのかもしれないが、それをそのままメディアに乗せていいかどうかは、別問題だろう。

 “骸骨を下から見上げるようなオドロオドロしさがありますね。”
 “洗濯槽の中にいるような気がします。”
 “ちょっとグロテスクのような感じもします。”

 “オドロオドロしい”とか“グロテスク”なんて言葉は、注意して使ってほしい。乱暴な言葉づかいにガッカリさせられどおしだった。「天才か奇人か」という言葉にも、「奇怪(きっかい)な建物」、「奇想天外な建築物」、「自己犠牲」、「まるでテーマパーク」といった言葉の選択も軽率だ。

 ガウディは生前、時代を通して建築と人との関わりの中に先進的な思想を盛り込んできた。にもかかわらず、彼の死後三十年ほど誰にも見向きもされない時代があったのは、なぜだったのか。この時代になって世界遺産にまで登録されるほど再評価されるようになったのは、なぜだったのか。その疑問に答えることが、世界遺産へ登録された意味を正当に伝えられたはずだが、その疑問にはほとんど答えていなかった。

 とはいえ、ガウディを紹介するTV番組としては良くできていた。番組の冒頭で発せられたナレーションはこうだった。

 “一方でサグラダ・ファミリアは、ガウディの死後80年たった今もなお建設が続き、未完の聖堂と称されています。人々は何を思い、建設を続けているのでしょうか?”

 この疑問に対して、肩のこらない平易な取材を通し、分かりやすい回答で番組を締めくくっていたのはさすがだった。『世界遺産の旅』はみな良くできている。

 ガウディの話がメディアに乗ると、カレンダーの申し込みがポツポツと入る。昨年度のカレンダーを申し込んでくる人さえある。申込の受付や梱包、送付作業は実はかなり面倒で、手間や工数を考慮すると、注文が増えるほど赤字も増える。
 とはいえ、そんなこと、金額も小額だし、たいした問題じゃない。ある人物とのひょんな出会いからガウディ建築との関わりが生まれ、そして会社を立ち上げ、自分たちが欲しかったカレンダーをつくり楽しんでいる。それだけの話なのだ。そんなカレンダーが媒介となって、自分なりのガウディとの関わりを発見できるチャンスを提供しているとすれば、それは嬉しいことだし、とてもありがたいことだ。

 来年度のカレンダーだが…

 「今年のカレンダーってさあ、大き過ぎて置き場所に困るよ」という声あまたあり、また、流通事情も含めて考慮した結果、一昨年度のようにコンパクトなブック形式にすることにした。
 さて、翌年のカレンダーを制作する時期がまたやってきた。カレンダーを販売する流通に対して、明日、表紙を提出しなければならない。というわけで、数分前にできた表紙のベータ版を、ここにアップしておいた。

 写真をよく見ると、聖堂が少し左側に傾(かし)いで見えるはずだ。正面から少し右側に移動して撮影したからだ。そびえ立つ四本の鐘塔の位置も、中心から右側にづれている。それはなぜだろう。何か意図したことがあるのか。
 正面から撮影し、ど真ん中に被写体を収めた写真もある。しかし、それは使えない。なぜなら、少しだけずれていると、見る人が写真に入り込む余地を与えるから。そこで、自分との対話が始まり、自分だけの世界をつくる自由度が広がるから。そんな風に考えている。この聖堂を見たことがない人にとっても、見たことがある人にとっても…。

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2006年5月 8日 (月)

時間の進み方

 目が覚めると午後7時だった。日曜日のことだ。

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<窓の外は、まだ、まぶしいほどだった>

 まあ、しょうがない。連休明けに提出する仕事をやっていたからだ。

 提出すべきものありしも、時間に余裕があると、自分の中で優先すべきと思っていることに目が行く。となれば、仕事は後回し。自然の成り行きだ。

 『あ・うん』とか『風の変様体』とか、ほかにもここではとても言えぬ音読本もあり、ほかにもいろいろと、浮世のしがらみをほぐすべく、それなりに努力せねばならぬこともある。そんなこんなで昼過ぎまで眠れず、気を失ってから六時間後に、いつものように生き返った、というわけだ。

 そして夕方からは、勤勉なスタッフと仕事の打ち合わせ。しばらくして薄暗くなると、腹も空き加減となり、飯を炊く。日本橋高島屋にてスタッフが仕入れてきた名店とおぼしき鰻あり。軽く蒸し上げ、飯にのせ、山椒を少し多めにまぶし、ガツガツと一気にかっこむ。う~ん、うまい!

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<まずはゴマ豆腐で腹ごなし>

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<お吸い物で口ゆすぎ>

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<鰻をガツンといただく>

 最後はやはり茶漬けだ。すりおろした生ワサビを鰻にのせる。その上から熱々の湯をかけ、味と香りがご飯粒の奥の奥まで染み渡るのを待つのだ。かけるのはお湯に限る。お茶とか出汁ではご飯本来の味が死んでしまうからだ。待つ時間が、また、たまらなく良い。せいぜい三分ほどなのだが、時間の進み具合が別次元に移行する。時間が止まっているような、永遠に流れているような錯覚に陥る。「もういいよ!」とご飯がつぶやいたら、サラサラと茶漬けを流し込むのだ。…旨い!

 そして、また、深夜前まで仕事する。連休明けに提出する原稿とデザイン案を完成。これでお開きである。

 お疲れさまでした。

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2006年5月 7日 (日)

音読のすすめ

 目が覚めると午後5時を回っていた。土曜日のことだ。
 夕方から散歩がてら銀座に出て、「ニューメルサ」にある蕎麦屋に入り、『木村屋』でアンパンを買って帰る。

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<日比谷線出口 人形町交差点>

 まあ、しょうがない。どうしても徹底的に読破したい本があったからだ。金曜日の夜を徹し読了。その後、メモをとりながら思いを綴っていたら目がさえてしまい、床についたのは昼近くになっていた。

 この数日、仕事の合間に読んでいたこの本は難解で参った。何度も立ち往生した。参考資料を見て確認しなければ分からない部分も多かった。難解な部分を何回か音読していたら、そのうち先に進むことができた。

 最近、自分の書き言葉がつまらない、とも感じていた。話も面白くない。リズム感もないし滑舌も悪い、語る楽しみさえ薄くなっていることを感じていた。確かに、人前で話をする機会も以前より少なくなっている。

 ひとつのリハビリとして、音読を始めた。事務所が狭く声を張り上げて音読するとはた迷惑なので、夜中に起きている、というわけだ。『声に出して読みたい日本語』に影響されたわけではないが、本棚にはなぜか第4巻だけある。

 夜に音読していたら、日曜日の朝がやってきた。

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<今夜は帰りなさい>

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2006年5月 5日 (金)

鯉のぼり

■空の向かってシャッターを押すべし。

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2006年5月 4日 (木)

スイッチ

■今日は仏滅。明日は大安、こどもの日。
■黄金週間はあと三日で終了。

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■今日も仕事のスイッチを押した。

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2006年5月 3日 (水)

旗日

■五月は初日から真夏日。一気に夏だ! と、思ったのもつかの間、翌日は肌寒いほど急激に気温が下降した。しかも、一日中、雨、雨、雨。
■そして、今日三日は、快晴ときた。涼しい。窓の向こうでは、日章旗が気持ちよさげにたなびいている。憲法記念日、だ。

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<日本橋蛎殻町 水天宮>
<工事中のビルは40階まで積み上がる>

■田舎では大変なことになっているらしい。新婚夫婦を祝う会と葬式が重なってしまったらしい。どうする? どうにかする、らしい。こちらはお仕事。週明けにはいつかの成果物を完成させねばならないが、負担ではない。電話もほとんどないし、静かに仕事ができる。集中度が増すのでこの時期は好き。そんな予定だ。今日は夕刻から池袋にて友人たちと会う予定もある。
■予定があるのは幸せなこと。

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2006年5月 2日 (火)

イリンクス

■ロジェ・カイヨワは『遊びと人間』の中でこう言っている。遊びはアゴーン、アレア、ミミクリー、イリンクスの4種類に大別できる、と。漢字に置き換えると、競争、偶然、模倣、眩暈(めまい)、というところか。
■子供はワクワクしていないといられないが、大人になるとワクワクばかりじゃいられない。
■とはいえ、人生の目標とする「馬鹿なジジイ」への道を歩むには、遊びは欠かせない。自分がワクワクできないのに、子供をワクワクさせられるわけがない。
■というわけで、昨夜はイリンクス。

<ドアノブを壊して夜の街へ出る>
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<深夜を撮影するスカート>
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<のれそれのたれ>
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<飲みすぎて千鳥足>
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<デザインの大量生産>
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<富裕リスト>
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<鏡の世界>
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■月曜日は予定通り、午前中から連載記事の打ち合わせを持つ。完璧な酔っ払いは、「いやあ、今日は日差しが強くてもう日焼けしちゃいましたよ」と、ウソぶく。編集者は苦笑い。打ち合わせの後、突然やってきた真夏日なのに、『よし梅』にて「鴨雑炊」を食らい、大汗をかく。■夕方から、もうひとつ編集会議。冷たいカフェ・コン・レ・チェで仕上げる。■深夜、最近知り合った友人たちと、イリンクスを実践するために、また、飲む。■イリンクスは心をワクワクさせるが、酒飲みの言い訳に過ぎない、とも言える。

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2006年5月 1日 (月)

今を撮って!

■と、女は言った。一糸まとわぬ姿で直立不動のまま、両手をピッタリ体につけたまま、女は言った。■昨夜、ひょんな事情でやってきた女は、こちらを真剣な表情でじっと見据えていた。■そんな状況になったのは、多分、叔父のせいか。いや、夢だったのかもしれない。■今を、自分のあるがままを撮ってほしいという女を前に、私はカメラのシャッターを切った。生気あふれる体は、人として美しさを感じる。■すべてのデータはDVDに焼いて女に渡し、私はこの1枚だけもらい受けた。■もう、気は済んだかい。じゃあ、帰ろうね。送ってくから。■夜が明けたら、雑誌連載の打ち合わせが午前中にあるんだから勘弁してくれよ、とまでは言えなかった…。

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隅田川

■夏到来直前。夕暮れどきに隅田川に出る。徒歩5分。
■車が止まって見えるのは上層の高速道路。

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■海から押し寄せる潮が川べりを濡らす。
■潮に乗って川をさかのぼるクラゲは浅草あたりで引き返すらしい。

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