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2006年8月30日 (水)

ルールという自由

ルールがあるから自由がある。遊びがある。スポーツにはルールがあり、制約があり自由があり、遊びがある。試合が終われば敵味方でも兄弟になれる。

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     <PhotoShopでラッピングされた二人は初対面>

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2006年8月26日 (土)

驟雨

土曜日の早朝、暗いうちに起き出す。こおろぎ鳴く声に驚く。九月はもうすぐ。にわかに雨が降り出す。驟雨(しゅうう)だった。明かり消し雨音を聴く。季節移る音が聞こえた。

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     <2006/08/26 午前3時6分 日本橋水天宮>

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2006年8月24日 (木)

かれ土に水を注げ

眼が覚めたとき、無性にステーキを食べたくなった。ステーキより肉じゃがや牛丼に旨さを感じる人間が、ステーキを食べたいとは、これいかに。わけが分からん。よく分からないのだが、突然、体が欲してしまったのだから仕方ない。

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午後2時前、日本橋人形町『今半』に走った。って、起きてる時間が知れるな(笑)。ランチどき限定のステーキ定食A(\2,600)がねらい目だ。このお値段でシェフが目の前で調理してくれる、非常にお得なメニュー。

「ロース150グラム、レアでお願いします」

片側を軽く焼き、もう片側はサッと鉄板をなでるだけ。150グラムのお肉は薄いため、レアで焼くには職人技が必要になる。200グラム(ステーキ定食B)、250グラム(ステーキ定食C)もあるが、それなりに値がはる。今はちょっと貧乏なので遠慮する。とにかく今日は、肉が薄くてもかまわない。とにかくステーキを食べたい。そう体が欲していたからだ。

で、その結末は…。

ひょっとして、これまで食べたステーキで一番だったかもしれない。やはり、食べたいときが旨いときなのか…。かれ土に注がれた水は、あっという間に吸い込まれる。食べたいときに食べると、知らぬ旨味が味覚に染み渡り、新しい味覚がリストアップされるというのか。

ステーキを堪能したあと、その足で日本橋図書館に向い、仕事に関する資料を読み漁る。この時期、ビジネスマンが多く、閲覧スペースは満杯。仕方なく書庫の床に座り込んで読む。

そういえば、あのカレーも旨かった。先日、無性にフツーのカレーを食べたくなり、相方に頼んで作ってもらったのだが、そのカレーの旨さには驚いた。驚いた自分に驚いた、というべきか。いつも普通に食べている日常の料理なのに、初めて味わうような旨味を感じたからだ。気がつかない不甲斐なさにはあきれるばかり。

求められている知識にも同じことが言えるだろう。それまで気づいていなかった知識欲に、ある日突然、火がつくことがある。気がついたら素直に受け入れるしかない。さて、木曜日は早稲田大学の夏講座でお勉強。全8回の5回目になるが、また新たな味わいが生れることを期待している。

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  <目の前が白むほど暑い夏。早稲田実業の文字も見える>

これから執筆する本にしても同じことが言える。求められることを形にしなければ、と思う。ガウディに関する書籍はまだ企画書やサンプルを書いている段階だが、パソコンに関する書籍は締め切りが迫っている。どちらも大切な仕事に変わりない。

枯(か)れた生物に水をそそげ
涸(か)れた土地に水をそそげ

かれ土に水を注げ
君にかれ土はあるか
注ぐ水はあるか

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2006年8月22日 (火)

素晴らしき放浪者たち

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舞台でベリーダンスを踊るラムちゃんは妖艶そのものだった。

十人ほどで群舞する中にあっても、スリムで上背もあり肉付きの良い彼女のモデル体型は、どうしようもなく際立っていた。そして、あの解き放たれたような笑顔…。

彼女の本業はお堅い仕事だ。それを知る友人たちは、舞台発表の場でちゃんと踊れるだろうかと、みなハラハラドキドキだったはず。アラブの衣装をわずかばかり身にまとい、腰を振り、胸を揺すり、舞い踊るラムちゃん。

振り付けは複雑でなく何度か繰り返されたが、退屈ではなかった。というより、同じような振り付けが繰り返されるにしたがい、観客の感情は次第に高まっていった。そうして、観る者たちを日常の世界から別の世界に引き込んでいく。踊り子たちも別の世界に入り込んでいく。これがエロスというものか。

何かから解き放たれたような空間が、渋谷のとある小さな公会堂にできあがった。私は一瞬、踊り子たちと放浪の旅を共にしているような錯覚にとらわれた。一瞬は永遠につながる言葉。永遠に流れる時間を、一瞬一瞬感じさせる場所、それが舞台だ。そこにいたのは友人としてのラムちゃんでなく、ひとりのダンサーだった。

お盆休み最後の日曜日、蒸し蒸した空気がドヨンとたまった宮益坂下で奇跡が起こったのだ。とは、ちょっと言いすぎだが、小さな公会堂で観た光景は、記憶のひだにまとわりついて長いこと離れないに違いない。

舞台は、バレーとストリートダンスの発表会も兼ねた、ユニークなものだった。「単なる素人の発表会じゃないの」と、言い捨てる人もいるだろう。「いやいや、客演にプロを招待したバレーもあり、レベルは高かったじゃないのお」と、弁護する人もいるだろう。舞台を楽しむとき、そんな「旨い下手」は論じるに値しない。演じる者と観る者が舞台を介して一体になれたかどうか、それが問題。なぜなら、劇場は時間を操る怪物なのだから。

ラムちゃんが踊ったベリーダンスと、バレーやストリートダンスと違っていたのは、主体が踊る側だけでなく観客を巻き込んでいたことにある。ベリーダンスを指導した人の力量に負うところ大だと思われる。また、三つの異なる表現を同じ日にした試みは、やんごとなき事情があったかもしれぬが、結果的に成功だったといえるだろう。

少し暗くなり、踊り終えたダンサーの友人たちと共に表参道に繰り出した。中華料理店『希須林(キスリン)』で腹ごしらえし、お盆休みらしい『大坊珈琲店』を通り過ぎた先にある「ラ・プラス」の『Limapuluh』カフェーに入いり、閉店まで粘る。

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その店では70年、80年代の音楽が流れていた。「ABBA」や「Police」に混じって滅多に耳にすることないサウンドも流れた。『スーパートランプ』の「ロジカル・ソング」「グッドバイストレンジャー」「ブレックファスト・イン・アメリカ」が三曲続いて流されたときは、話そっちのけで聞き入ってしまった。この三曲は『スーパートランプ』(素晴らしき放浪者たち)を世界に知らしめたアルバム「ブレックファスト・イン・アメリカ」のA面に収録されていたもので、続けて聴くところに価値があるからだ。

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           <さあ、日常に帰るとしよう>

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2006年8月20日 (日)

池袋サンシャイン60

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透明の檻に閉じ込められた海の生物たちを見た。
展示物と割り切ると、ガラス越しの目が笑う。
残酷さを忘れた餓鬼となり、爆発する楽しさ。
あさましさを隠し、水族館から展望台へ登る。
60階から下界を見下ろす天使は美しい。
9歳の女の子と遊んだ週末。

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2006年8月17日 (木)

夏の雲

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   <ムクムクと西の空に積乱雲 2006/08/14 16:15>

ビルにはさまれ窮屈そうに顔を出す日本橋から見える夏の雲。

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2006年8月16日 (水)

ゴールデン街とロマ料理

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      <ひと筋ずれた「やきとり横丁」で飲む>

男は路地の奥に這いつくばり、鬼気迫るうめき声をあげていた。

「キャツは完璧にラリッてるよ。ホラ、失禁してんだろ。打って飲んで夢ん中さ。気にすることねえよ」と、連れは言った。しかし、いいのか、あのままで。まあ、それが『新宿ゴールデン街』なんだろう。

現在では『思い出横丁』とか『やきとり横丁』とか、小奇麗な名前をつけられ、ちゃんとした店も増えてしまったが、根は昔のまま。ホッとしてる場面ではなかったが、妙に安心した。武術家A氏と一緒だと、どんな状況でも危険は回避できるという安心感もあった。

一番面白い小汚い店からは嫌われた。「お盆休みのため…」と、殴り書きした白い紙が木戸に貼ってあった。二番手もダメで、三番手の焼き鳥屋『大黒屋』に落ち着く。飲むはずじゃなかった。が、焼き鳥屋じゃしかたねえ。こうなったら、と腹を決め、二人で飲み始める。話もする。連れの本業はデザイナーである。金沢の蒔絵師たちと進めている企画が面白い。地域を巻き込んだ企画は額がでかい。私からもつつましい出版企画について話す。彼はいつも痛いところをついてくる。こちらもやり返す。二人ともヘロヘロになると、「次行くぞ!」とあいなる。オヤジだ。

新宿からタクシーで中野坂上に流れた。ワンメーターとは驚いた。こちらでも一番手は盆休み。駅舎に隣接する明るいビル内にある「ルーマニア料理店」で飲む。ジプシー音楽が流れていた。ルーマニアって本当はローマ人たちの国という意味らしいが、音楽や料理からはロマ(ジブシー)たちの国じゃないか、と思ってしまうほどインドやアラブからの文化が色濃い。料理は「薄くスパイスを効かせたジューシーなインド料理」という感じだった。とびきり美味くはないが、いろいろと企業努力をしており、流行るかもしれない。

上の文章は、若だんなと荻島さんからの指摘を受けて訂正したものです。
『新宿ゴールデン街』は明らかに間違い。『しょんべん横丁』だ。間違いを指摘してくれた若だんなとも二度、三度と花園神社やゴールデン街の近くをウロチョロしたこと、覚えてますよ。
「ロマ料理」ってのもねえ、ロマの人口はルーマニアでは2パーセントほどだというし、ルーマニアってローマ人の末裔だと信じる人たちが住んでいる国であるし、「ルーマニア料理」とすべきなんでしょう、きっと。とはいえ、土着の料理も音楽も、西欧からはるか遠くに位置するインドやアラブを思わせるものもあり、複雑です。

というわけで、この記事のタイトルである「ゴールデン街とロマ料理」という表記は間違ってる。「しょんべん横丁とルーマニア料理」が字義的には正しい。

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2006年8月14日 (月)

土曜日の雷雨

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  <午後2時過ぎにライトを点灯し青山通りを走る車(外苑前)>

8月12日の土曜日、東京は朝から暑い黒雲におおわれ、蒸し暑さは頂点に達していた。午後2時前、日本橋人形町は曇りだったが、世田谷では土砂降りで窓も開けられないよお、と友人Aが電話のむこうで嘆いていた。

午後2時15分過ぎ、外苑前駅に着く。改札を出たところに大勢の人だかりができていた。皆、雨宿りしている。頭からずぶ濡れになった者も何人かいた。同じように足止めをくらった大坊さんと、小降りになるまで駅で待機する。

外苑前から青山球場までは、走れば2分もかからぬほんの目と鼻の先の距離。でも、この土砂降りじゃ、ずぶ濡れになる。動けない。野球の試合は3時からだ。30分前には集合する決まりなのだが、この土砂降りなら少し遅くなっても問題はないだろう。雷雨は西から東へ駆け足で進む。10分もすれば小降りになるはず。

午後2時30分を過ぎたので、地上へ出た。雨もわずかに小降りになり、空も明るくなっていた。雨はもうすぐ止む。…青山球場は雨に打たれ弱い。午後3時からの試合はできるかどうか。開始を遅らせても、なんとかやりたいのだが…。そんなことを考えながら、駅で雨宿りしていたメンバー3人と野球場まで走った。

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     <青山球場付近にも落雷多数あり(土曜日)>

試合開始15分前、雨はピタリと止んだ。野球ができる期待感が膨らんだ。とはいえ、雨が止んだあともドカンドカンと落ちる稲妻。金属バットを持って打席に立つのは怖い。野球が中止になってよかったのかもしれない。

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2006年8月13日 (日)

水たまり

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雷雨により野球場に水たまりができたため、土曜日の草野球は中止。落雷で山の手線が運行を停止するほど激しい雷雨だったが、降雨量はたいしたことはなかった。

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フィールドはほとんどが人工芝でおおわれているが、本塁、一塁、二塁、三塁と、塁の周辺は人工芝が切り取られ土がむき出しになっている。人工芝なのに土の部分の水はけが悪く、青山球場は雨に弱い。雨模様のとき土の部分にシートをかぶせれば、簡単に問題は解決する。しかし、管理人はそこまで手が回らないらしい。

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2006年8月11日 (金)

十六夜月

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満月を過ぎても月は楽しめる。いざよいづき(十六夜月)、たちまちづき(立待月)、ねまちづき(寝待月)と続く。

昨日、久しぶりに会った友人F氏と、夕食にイタメシ食ったあと、日本橋浜町前で別れたのだが、十六夜月(いざよいづき)が地平線すれすれに顔を出したばかりで、かすかに上弦をたくわえ朱に染まったあまりの妖艶な姿に、しばし立ち尽くしてしまった。

写真は、残念ながらその十六夜月ではない。おとといの深夜、というか昨日の早朝頃に地平線に沈もうとしている満月だ。台風一過、空が澄み渡っており、ギンギンに白々と輝いていた。

さて、今夜はどうだろう。

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2006年8月 8日 (火)

京都の暑い夏

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一流のホテル。この写真だけで何というホテルかを言い当てることができるとしたら、かなりのホテル通だろう。この写真は、『京都ホテルオークラ』の客室フロア吹き抜け部分。設備も接客も前日に宿泊した「掛川なんたらホテル」とは別次元にある。

京都にやってきた目的は三つある。まず、友人の妹さんが弾くチェロとピアノのコンサートを聴くこと。『カフェ・ドゥ・ガウディ』のマスター鈴木政勝氏に会うこと。そして、京都人たちと共にシャレで京都観光をすることだ。

演奏者たち二人にとっては少々不満が残ったらしいが、コンサートは素晴らしかった。楽器から発する振動を生で受けた体は、その夜、深く長く心地よい眠りへ落ちた。

その翌日、観光ミニツアーが決行された。参加者は六名。なぜかパリで活動しているチェロ奏者と二人のピアニスト、そして友人Rと相方と私を含めた六名は、友人の両親を含めた八名でホテル十八階にあるレストランにてゆるりと朝食をとると、連れ立って灼熱の京都へ出陣したのだった。ありがたいことに、ホテルの地下にもぐると地下鉄の駅がある。最初の目的地はそこから三駅ほど先。地上に出ると、熱気でめまいがするほどだった。いきなり汗が噴き出す。目の前にトンネルがあった。

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トンネルを抜けると、そこは…。

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立派なかやぶき屋根の家屋が見えた。
その前の広い敷地は駐車場。
アラビア数字と白線がミスマッチ。

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ここは、南禅寺。

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とにかく歩いて大汗をかこうじゃないか、と、歩く。

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レンガ造りの水道橋までくると、ひんやりする。

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南禅寺を散策するも、気になる水道橋…。

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水道橋に戻り、その上に登る。すると、水が勢いよく流れていた。すごい! 今でもちゃんと機能してるじゃないか! 「上流へどうぞ」と、ささやく声が聞こえてくる。そうなればしかたない。上流へ登るしかないだろう。というわけで、運河にそって上流へ、上流へと歩く。歩くに連れて、山奥へ連れ行かれる不安もつのる。

果てさて、行き着いた先は…。

なんと、発電所だった。景観をそこねぬよう、茶色に彩色してある。見えないはずだ。感心してはみたものの、どこから降りればよいのか分からない。

周りをよ~く見てみると、発電所から山すそへ一直線に走っているレールがある。昔はここから京の都まで、琵琶湖からの船をトロッコに乗せて運んだ、というではないか。山を駆け下りるトロッコ鉄道に沿って、ゆるやかに山を降りる階段が見える。この階段を降りていけば、なんとかなるようだ。我々六人組は、そうして下界に帰還したのだった。

とはいえ、帰還した場所は…。

最初にくぐったあのトンネルの出口ではないか。もうすぐ上がりだという期待感いっぱいのとき、サイコロを振って「ふりだしに戻る」にはまってしまった「すごろく」のような気分。それに、そこいら一帯にはなぜだか昔懐かしい「肥溜め」の芳しい臭いに満ち満ちており、徒労感と臭さのダブルパンチ。「なあんだ、山を一周してきただけかい」と、ガックリとしおれてしまっただった。

とはいえ、水道橋のことなら、いっぱしのうんちくを語れる充実感で満たされてもいた。

ここで京育ちとばかり思っていた東京育ちのM嬢と別れ、五人衆は銀閣へ向かった。とはいえ、あまりの暑さにあの充実感は簡単に吹き飛ばされ、「なんたらの道」を歩く気力も粉々に飛び散り、「ヘイ、タクシー!」と、あいなったのだった。

それでも軽く散策し、非常にリーズナブルな京懐石を満喫し、銀閣への参堂を登ったのでありました、とさ。

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銀閣へ向かう人たち。

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しょぼい銀閣は日本家屋の原点なのだ。
見れば見るほど、随所に感嘆すべきところを発見す。
銀閣はしょぼくても、やはり、すごい。

最後は、アートより食い気である。
京都の胃袋、錦商店街へ向かった。

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錦市場でフラフラといろいろと買い物をする。
そして、最後はかき氷。

「陽に当たるとよく眠る」というが、まさに名言だろう。京都から品川まで熟睡。名古屋を通り過ぎたことさえ、まったく記憶にない。

京都の夏は本当に刺激的だった。体を揺さぶるピアノとチェロの音響。理智的な言葉を彩る感性を育んできた両親の存在。体の隅々まで染み渡るカフェ・ドゥ・ガウディの深煎りカフェ。京料理の微妙な味わい。緑を通して差し込んでくる日差しのまぶしい陽光と陰影。この前の戦(いくさ)は応仁の乱だった、という京の都の分厚い文化。何代もの世代で引き継がれ生き続けるものと、強烈な夏の暑さで爆発的に醗酵するものにはさまれ、夢見心地に過ごした京都の夏だった。

本当に暑い夏の一日だった。

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2006年8月 4日 (金)

袋小路のある街

日本橋人形町は袋小路だらけ。
滅多に足を踏み入れることなかれ。

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とはいえ、呼ばれるように暗がりに入り込んでいったとしても、
心配することなない。わずかに抜けられる切り欠きが必ずある。
味噌汁の匂いにつられて歩いていれば、通りに出られるはずだ。

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二丁目のこの一画は11月に取り壊され、
十八階建てのビルが建つ。

それでもしぶとく残る路地もある。
和食屋『よし梅』前の路地は誰かがいつも歩いている。

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バケツが見える路地はまだ健在なり。

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2006年8月 3日 (木)

生涯学習ってどうよ

 人生にチャンスは一度きり、という人もいるが、人生の転機は何回かやってくる。そんなとき、私は母親に手紙を書く。
 二十五年前に逝った母は、私よりはるかに聡明だった。三人の馬鹿息子を育てることに専心していなければ、いっぱしの事業家なんぞとして名を成していただろう。
 二週間前、そんな母へむけて久しぶりに手紙を書いた。以下はその抜粋だが、それでも長い。ライターはテキストをいくらでも増殖させることができるのだ。ですます調のまま掲載するが、あしからず。

………………
拝啓 母上殿

 ゆえあって早稲田大学に通い始めました。大学といってもエクステンションセンターという生涯学習を一般に開放した、いわば「文化センター」の大学版といったものです。テストもありません。でも、講義は本格的でしたよ。これから8回あります。今日はその初日でした。
 講義は2時間。講座の初回ということもあり、全体を駆け足で概観する大胆な切り口が刺激的で、非常に面白い内容でした。
 講義の科目は「ゴシックの美術と建築」。講師は小倉康之さん。早稲田のOBで私より一回り以上若い。三十台後半のバリバリの研究者です。地声が大きく講義が聞き取りやすいので、とてもありがたいです。「ゴシック様式」より1つ前の「ロマネスク様式」がご専門。「ゴシック様式」とちょっと距離感のある講師の立ち位置が気に入っています。対象をちょっと突き放したより客観的な解釈が期待できるから。講義は初回から期待通りの内容でした。「当たり!」です。

 母さんはボクがなぜいまさら、ゴシック建築なんぞを勉強するのか、とお思いかもしれませんね。「また、いまさらなんば言いよっとね」なんて、どうか突き放さないでください。趣味が高じて人生を踏み外す性癖は、死んでも直らないのですから。もう三十年以上前のこと、機械工学科で歯車の世界的権威についてせっかく質の高い勉強をしていたくせに、英語教育で身を立てるんだと転身したし。英会話学校の講師として就職したときは、泣きそうな顔してましたもんね。ごめんなさい。でも今は、ガウディ建築をなぜ追いかけてるか、その理由は薄々は理解してくれてると思う。
 とはいえ、西洋の建築様式がどう進展してきたのかを系統だって知ったのは、つい最近のことなんです。さすがに「バウハウス」が現代の建築やデザインに大きく影響していることくらいは知ってましたよ。でもね、二十年ほど前にガウディを知り、その庇護者であったグエル伯爵の名前を拝借して会社を立ち上げたり、十年ほど前から「ガウディの遺産」などというウェブサイトを開いていたりして、いかにも建築通と見られていたんだけど、西欧の建築様式の流れをおさらいしてみて、「知らないことだらけじゃん」と、あ然としてしまったんです。というか、恥ずかしいでしょ、それってあまりにも。
 実はもうひとつ理由があるんだよね。私が長年追いかけているスペインの建築家ガウディが、ゴシック様式の教会を「まるで森のようだ」と賛美しながらも、その欠陥を痛烈に批判し、ゴシックを超える教会を建てようとしているんだ。現在も建築が続行しているんだけどね。そのガウディがゴシック建築のどの部分を大いに意識したのか、その理由は何だったのか、ちゃんと勉強しようと思ったからなんだ。

 この講座を受講する者の中には、講師が一年を通して行っている別の講座、「ロマネスク建築の図像学―聖堂壁画と建築空間」という講座を受講している学生が多く含まれているようで、講義は途中から予備知識なしでは理解できない専門用語が頻発して驚きました。いきなりレベルが高くなってビックリしたよ、ほんとに。
 「モサラベ様式」とか「ムデハル様式」と言われても、ガウディのことやスペイン建築史をあらかじめ学習していないと、えっ? 「モサだっぺ様式」って何? スペインで「宗治様式」って有り得ないでしょ? なんて思いかねませんからね。
 ちょっと自慢しちゃうけど、ボクは建築史に関してはおおかたの知識を付け刃(やいば)焼き刃的に吸収していたし、『スペイン建築史』(丹下敏明著)や『バルセローナ』(神吉敬三著)などを熟読していたので、なんとか事なきを得たものの、理解に苦しんだ学生もいたに違いありません。

 学生とはいえ、生涯学習の一環として実施されている大学の公開講座を受講している学生なので、その大半は私より年配の方々ばかりでした。ゴシック建築の位置づけや概要などといった分かり切った話よりも、早く突っ込んだ内容にしてほしい、そんな余裕たっぷりの顔をしている方々もおられたような気がします。ただ、講義内容にうなづきながら居眠りしているツワモノもいましたよ。

 ちょっと内容について話をするね。

 この夏季講座は全部で8回。週に1回の講義が9月中旬まで続きます。講座の目標は「様式史と図像学の習得により、ゴシック美術の本質に迫ること」だと案内に明記されていました。図像学(ずぞうがく)なんて聞いたこともないし、難しそうな感じはしますが、面白そうでしょ。
 講座の目標とは別に、ボクには個人的な目標があります。ガウディが賛美し批判したゴシック様式の本質を知り、それを糧として、ゴシック様式を超えようと格闘したガウディのサグラダ・ファミリア贖罪聖堂へ込めた建築意図を考察すること、なんです。すごいでしょ。
 ちょっとすご過ぎるかもね。でも、明確な目標を個人的な課題の先に持てない限り面白みが見つかりにくいし、先へ進む意味もないでしょ。本当に先に行けるといいんだけど、まあ、いつもの「どっちが楽しいかな?」と自問している限り、なんとかなるような気がしてる。ちょっと応援してほしいな。
 もしも、その個人的な目標が達成できたとしても、人様からお借りした形の良い知識をなぞって自慢したり、根拠の薄い仮説を振り回すような、そんな見苦しいことはしない、って約束するよ。どうせ、個人的な目標を受講してる間に達成できるわけもないし、当面は、目の前の講座の目標を達成できるよう吸収モードでいることにするから。

 話はちょっと違うけど、最初になるほどなあ、と思ったことがあるんだけど…いいかな。

 それは、席の座り方。その教室では長机が使われていました。三人がけの机の真ん中の席をひとつ空けて二人ずつ座るのが習いのようです。判で押したように規則正しく真ん中に空席がある。
 前のほうの長机が埋まっていたので仕方なく、ボクは前から6列目あたりに座りました。
 長机は横並びに三つ、十一列並べられてました。びっしり座ると3×3×11だから、99人座れるほどの教室ですね。空席を考えると、出席者は五十人ほどだったかな。定員四十名だから、人気のクラスなのかもしれません。

 出席はとりません。教室の入口に置いている「出席カード」に氏名などを記載し、「出席カード入れ」の紙袋に投げ入れるのです。出席できないときは、友人にでも頼んで、「出席カード」を代わりに書いてもらえば、簡単に出席扱いになってしまいます。代返(だいへん)よりシステマティックで確実にズルできます。ただ、生涯学習を志す人たちばかりなので、そんなことを実行する人は多分ひとりもいないでしょう。それを見越した「出席カード」システムなんでしょうからね。
 ボクが座ったのは三列に並べられた真ん中の長机。講師に向かって左側の席でした。右側の席には三十台とおぼしき女性が先に座っており、軽く会釈をしたのですが、本を読むことに熱心で気がつかなかったようです。
 周りを見渡すと、私と同年代はいませんでした。みな先輩ばかり。講義内容も「ゴシックの美術と建築」だし、時間帯も午後だし、こんな講義に出席できるのは時間に余裕のある酔狂な人か、学問に目覚めた真面目な人でなければ無理でしょう。ボクの年代は働き盛りなので、週日の昼間に仕事をしないで、こんなところに講義を受けに来られる暇な人間はほとんどいないはず。ボクは周囲から危険視されているかもしれません。男性を探すと、三分の一ほどもいました。劇場の観客席では男性をほとんど見かけることがないので、三分の一という比率はすごいことです。女性の高い比率に慣れていたので、ちょっと居心地の悪さを感じたほどでした。

 で、肝心の講義ですが…。

 講義は黒板とスライドを併用しながら、声がよく通る担当講師が進行していきました。大学の先生は、ひょっとして皆、カラオケ上手かもしれません。講義を始める前に、黒板に西欧建築様式の大まかな流れを板書する担当の講師を見て、いやあ、まじめだなあ、と思いました。
 繰り返すようだけど、第一回目の講義はすごく面白かった。なにしろプレゼンテーションに置き換えると「前振り」部分だし、講師としても受講する学生に興味を植えつける絶好の機会ですからね。力が入るというもんでしょ。

 で、講義の中で「眼からうろこ」という部分があったんだよね。聞きたいでしょ。

 西欧の建築様式の流れをおおざっぱに理解するには、地中海と内陸部の2つの文化圏の対立を考えるといい、と言うんですよ。いきなり大ナタを振るうような解釈にぶっ飛びました。続けて、中世まで圧倒的に高い文化を誇ったイズラムの影響と、誰が建築物の施主であったかを加えると、より明確になる、というんだよ。もうちょっと詳しく話をするとね…。聞いてる?
 人格神を信じるローマ・ラテン系の「地中海文化圏」が西欧をまず長期にわたって席巻し、自然神を信じるケルト・ゲルマン系の「内陸文化圏」が後を追ってやってくる。その最初の衝撃を「ゴシック様式」と後生の人たちが名前をつけたらしいのですよ。
 「ゴシック」とは、経済的に貧困で文化的に貧弱で、森に住む田舎者であったゲルマン人やケルト人のゴート風の様式という意味なのであ~る、と。ある意味、これはキリスト文化中心的解釈として常識。しかし、ギリシャ・ローマ文化が受け継がれたアラブ・イスラム文化がまったく消去されてる流れは不自然であり、フランスで発祥したとされるゴシック様式の源泉はアラブ・イスラム文化にあり、宗教とは別の部分で様式の歴史がつくられた面もある。だから、現存する建築物を様式と図像という尺度で素直に見てみよう、というのが今回のお勉強らしいのです。

 西欧の建築様式の流れは知ってるよね。ざっと並べるとこんな風になるじゃない。

1 古代ギリシャ・ローマ建築
2 4~7世紀:古代末期(初期キリスト教建築)
3 8~9世紀:プレ・ロマネスク
4 10~12世紀:ロマネスク
5 12~14世紀:ゴシック
6 15世紀:ルネサンス
7 16~18世紀:バロック・ロココ
8 19世紀:多様なネオ様式
  (ネオロマネスク、ネオゴシック、ネオルネサンス、ネオバロック)
9 20世紀初頭:アール・ヌーボー/アール・デコ/キュービズム
10 20世紀~:バウハウス系モダン建築

 ざざざっと、そのつながりの部分を解説してくれたんだけど、とても分かりやすくて、西欧建築史はもう分かった、みたいに錯覚してしまうほど。って、大げさかな。

 で、講義を聴きながら、ちょっとため息が出ちゃいましたよ。「こんな人でないと学者にはなれないんだなあ」って…。

 めいっぱい自慢するけどさ、ボクだって、ことガウディに関しては、彼の生い立ちから死にいたるまで、その年譜はほぼ完璧に記憶してる。知ってるでしょ。年を追いながら、いくつかのテーマについて、彼の人生を何回か話したこと、覚えてるよね。彼が関わった建築物、たとえばグエル公園とかタンジールの教会計画とか、個別の話も面白かっただろ。
 でもねえ、学者ってさ、知識の厚みも奥深さもスゴイよ。たった一回だけしか講義を聴いてないけど、講師になる人は違うって、分かりますよ、そりゃ。言葉の端々からあふれ出る知識の厚みは、いったいどこからやってくるのかって、感心しっぱなしだった。
 ある分野の、ある学問の世界では常識と認識されてきた知識の地図を、自分なりに描き直し、その地図を一枚、そして一枚と増やし、慎重に重ねながら独自の法則を見出そうと七転八倒してる。そして、その途上で、あるいはその結実として得られた法則に基づき編み出した、独自の地図の重ね方や位置取りを微妙に変化させ、そして、新しい地図を幾重にも重ねながら、自分が思いも寄らなかった新しい境地にいたるまで発酵するのをじっと辛抱して考えてる。
 学者って、そんな人たちなんじゃないか、と感じてしまったわけです。自分とどうよ、と比較すること自体、馬鹿げているな、って。「はあ…」本当にため息出ましたよ。
 学者になろうとしても、私には残された時間が少ないので物理的にも難しいんだけど、それ以上に、そんな「学者になるための資質」のなさを、この最初の講義で思い知らされましたね。それを感じることができただけでも、大学に設置された生涯教育を受講し始めた意味があるかもしません。残酷だけど、いかようにもならないことが人生にはある。それを知らしめることが大学のひとつの指名なのかもしれぬ。なんて思ったのでした。ちょっと悲しかった。
 そういえば、ネットで知り合い、友人として付き合っている人たちの中に信州や早稲田で教鞭をとっている友人がいるんだけど、彼らもこのような資質を持っているんだろうなあ、すごいなあ、と、思いやったのでした。

 とはいえ、別の意味で諦めてはいません。学者には独自の理論が必要だけど、市井の研究者にはアカデミズムの巨大なピラミッドを意識する必要がない。学者は「基礎研究」にいそしみ、市井の研究者は「エンジニアリング」に走り回る、という感じかな?
 だから、ボクのような市井の研究者になろうとする人間が目指すとすれば、独自の理論を構築するのが第一の目的ではなく、生活人に直接役立つ情報を提供することなんだろうな、と思い直したわけ。
 知識の厚みが薄くたって、学史的価値が乏しくったって、気にすることなんてない。一般の人たちにとって役に立つ情報が提供できれば、それで本望のはず、でしょ。

 多分、近いうちに、いやもっと先か、私も人前で話をすることになります。ガウディ建築について追いかけてきて、そう感じています。長年の研究に基づいたアカデミックな内容を提供する専門家の視点ではなく、情報デザインされた分かりやすい情報を一般人の視点で発信すること。人の生活に役立つ、真実に迫る表現ができる場所があるはずだ、と思っています。
 数年前からガウディ建築のカレンダーをつくり始めてるでしょ。その活動もエンジニアリングの一環なんだけど。分かってくれるかなあ。

 で、次に形にすべきものは何だと思う。
 その形は、発信する分量やメディアの違いによって、表現する方法さえ違ってきます。ブログやウェブページといった電子メディアでどう表現するか。書籍やガイドブック、写真集といった紙メディアでどう表現するか。情報デザインの考え方に基づいた方法論を自分なりにまとめないといけないなあ。
 表現する対象について、より正確で幅の広い情報を集めることも必要になる。だから講義を受けて知識の正確で詳しい地図をひとつ増やそうというわけなんよ。いっそ、スペインの大学にでも入学しちゃったほうがいいのかもね。

 母上殿、不肖の息子ではありますが、やっと地に足をつけた活動を始められたような気がしております。どうか、またビシッと叱ってやってつかあさい。

 では、また。
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最後までお付き合いいただいた方、どうもありがとう。

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