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2006年8月11日 (金)

十六夜月

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満月を過ぎても月は楽しめる。いざよいづき(十六夜月)、たちまちづき(立待月)、ねまちづき(寝待月)と続く。

昨日、久しぶりに会った友人F氏と、夕食にイタメシ食ったあと、日本橋浜町前で別れたのだが、十六夜月(いざよいづき)が地平線すれすれに顔を出したばかりで、かすかに上弦をたくわえ朱に染まったあまりの妖艶な姿に、しばし立ち尽くしてしまった。

写真は、残念ながらその十六夜月ではない。おとといの深夜、というか昨日の早朝頃に地平線に沈もうとしている満月だ。台風一過、空が澄み渡っており、ギンギンに白々と輝いていた。

さて、今夜はどうだろう。

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コメント

月は、地球と太陽が母と子との関係ならば、兄弟の関係です。どうして、大きさがあんなに違い、地球からの距離も違うのに、皆既月食や金環食が起きるのでしょうか?人類史の間だけかもしれませんが、不思議なものです。また、月と地球の自転が一致し、月の片面しか見せないのも、不思議なものです。月の凹凸の影が、日本ではウサギの餅つきに見えるのも、その片面しか見せない為です。もう一方の片面は、そんな陰影はありません。
 月が無かったならば、人類の歴史観も変わったような気がします。
アラブの太陽より月を尊ぶ概念も生まれないでしょうし、日本の月を題材にした夜の詩歌も生まれなかったかもしれません。
 地球の生命自身も、変わっていたかもしれません。大潮等の現象も無ければ、自然界に息づく摂理(海亀等の定期的な産卵・人間の女性の月経等も・・)も生まれなかったかも知れません。
 月が生まれたのは、地球創世記に他の惑星が地球に衝突し、合体・分裂し、再び地球の周りを回る衛星となった説が現代では有力な説ですが、これも絶対とは言い切れないと思います。
 私の好きなSF小説家のジェイムズ・P・ホーガンは、上記の説とは異なる(未読の人の為に詳述は避けますが・・、)月の起源及びそこから人類の起源までの異説を小説にしました。異説ではありますが、今までの常識が覆させられます。
 また、SF漫画家でもある星野之宣氏の「ムーン・ロスト」も、現代の地球から月が突然破壊され、自然環境が一変した為、荒唐無稽かもしれませんが、木星から惑星エウロパを、月の替わりに科学の力で地球の惑星にする漫画でした。
 夜、月が無い世界は、人類が味わったことが無い、寂しい世界だと思います。

投稿: mohariza | 2006年8月12日 (土) 03時04分

morihazaさん、いらっしゃいませ。

 宇宙的な広い視野で展開されるお話、とても興味深く読ませていただきました。「もしも月がなかったら…」という前提から発想を膨らませることのできる、作家の想像力には驚かされます。

>夜、月が無い世界は、人類が味わったことが無い、
>寂しい世界だと思います。

 まったく同感です。月が満ちるのを眼にするたびに、誰かに語りかけられているような、何かに呼ばれているような、何かいてもたってもいられない、妙なソワソワ感を感じるのは、私だけではないはずです。

投稿: kawa | 2006年8月13日 (日) 01時46分

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