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2006年10月31日 (火)

夕暮れの神楽坂

坂の上で私は立ちすくんでしまった。

これまで、神楽坂には何度も来たことはあった。それはいつも、夜ばかり。今日のように、夕暮れ時に坂の途中に立つことはなかった。歩道を上り下りする人たち。狭い坂道を登ってくる車列。どこかで見た風景の匂いがする。懐かしい。どこだったかな。白山(はくさん)にも似ている。こうして小高い丘の上に立ち、周りを眺めることが、何かを刺激しているのかもしれない。そう、ここは神楽坂。打ち合わせに来たのだ。

この先を左に曲がれば神社がある。境内に入らず手前の細い斜路を下り、突き当たりを左に登ってくると、今立ってる坂の上に出る。きっとそうだ。見たこともない神社を想像しながら、坂を下り始めた。

移転したばかりの新社屋までは、歩いてすぐだった。これからの出版企画について話し、一時間ほどで辞す。

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果たして私は路地を抜け、「赤城神社」の前に立つ。暗くなりかけた斜路を下り、坂を登り、ぐるっと一周し、A1出入口から地下鉄への階段を下った。

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2006年10月29日 (日)

ピントに合わせる

きっかけはヤツのひと言だった。

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近眼と乱視だけじゃなく老眼に追い討ちをかけられた人間にとって、オートフォーカスは「救いの神」だ。ピンボケを気にしないで、写真の構図や被写体に集中できる。だから、バランスのよい写真が撮れたりする。オートフォーカスという技術はすごい。デジタルカメラだとその場で確認でき、取り直せることも大きいからね。

「なまじ撮れてしまうから、いかんのよ」

と、ヤツは言った。このブログにアップしてきた写真は、以前ウェブにアップしてた写真と比較すると、面白味がない。写真で説明しようとしてない? 撮りたくて撮った写真のほうをアップしてくれよ、以前みたいに。

私も分かっちゃいるが、アンタにゃ言われたくない。午前2時、ヤツは『柿の種』(寺田寅彦)を置いて帰っていった。なんだよ。

翌日、遊びを思いついた。

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<EOS-5D 50mm単焦点マクロレンズ>

まず、デジタルカメラをマニュアルフォーカスに設定する。焦点までの距離をたとえば35センチに固定し、ファインダーを覗き込む。そうすると当たり前だが、レンズから35センチの距離にあるものにしかピントが合わない。

ピントを合わせるには、体を動かす必要がある。体を前後左右に小刻みに少しずつ動かしたり、体をひねったり。ピントに合わせて被写体を探す。

撮りたいと感じるまで、シャッターは押さない。それがルール。被写体にピントが合ってなくてもかまわない。それがいいと感じたらOK。百枚ほど撮る。楽しかった。別の画角や焦点距離だと、どうなるんだろう。

<追記>
実際にやってみないと分かりづらいが、焦点距離が固定されると、撮りたいと思った被写体を探し、思い通りの構図に収めるのは、非常に難しい。イライラしてくる。

眼鏡をなくした極度の近眼者に似ているが、ちょっと違う。結論を言ってしまうと、必要なものにピントを合わせなくても構わないからだ。その理由は……。

「ピントに合わせて被写体を探す」という方法をやり始めたときは、撮りたい被写体にピントを合わせようとする。正確に言うと、ファインダーを覗き込む前に、撮りたい被写体はあらかじめ決めており、その被写体にピントを合わせようとする。別の言い方をすると、ピントの合ったものを被写体の主体にしようとする。

その動作を繰り返していると、どうなるか。ピントに合わせる動作そのものが、どうでもよくなってくることに気が付くはずだ。いい加減という意味ではない。ピントに合ってるから良い場合もあり、ピントに合ってないから良い場合もあることに気が付く、ということ。ピントをピタッと合わせる被写体と、合わせない被写体を意識的に区別するようになる、という意味だ。通常のカメラワークでは、撮りたい被写体にピントを合わせ、そしてシャッターを押す。それでいいのか、と感じることはないか。

ファインダーを覗き込み、焦点をマニュアルで合わせながら、プロの写真家は、構図だけでなく主体となる被写体さえ、その場で変えてしまうことがある、という。そのわけを考えてみると、ファインダーの中に自分が入り込み、こちらの世界からちょっとだけ足を浮かせ、ファインダーから見える向こうの世界と、ひそかに交信しているのではないかと。

ピントに合わせて撮るという動作はお遊びだが、向こうの世界と交信するひとつの実験ツール、とも考えている。

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2006年10月26日 (木)

ガウディ・カレンダー

来年の「ガウディ・カレンダー2007」が完成した。

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「ガウディ・カレンダー」の制作は今回で5回目になった。
今回の特長は、サイズがコンパクトなこと。
下を見てほしい。サイズを比較するために、
右側の写真が上の写真を縮小したものとなっている。
左側が2006年版の表紙、右側が2007年版。
実寸の数値を比較しても、その違いは大きい。
2006年版が、841×594mm。
2007年版が、330×260mm。

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二つ目の特長は、ブック形式であること。
ページをめくり開いてカレンダーを使うわけだ。
この画像(↓)が2006年版を壁に掛けたときのイメージ。

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この画像(↓)が2007年版のイメージ。

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なぜ、こんなコンパクトなブック形式にしたかというと、不要なときは本棚に差しておけるから、というわけではなく、実用性を最優先にしたからだ。たとえば、月曜から始めているので、ウィークデイとウィークエンドが区分けされ、勤め人には好都合。前月と翌月の小さなカレンダーを付けたので、月をまたぐスケジュールを確認できるので便利。書き込みがしやすくなったこと、など。

また、お得な点もある。たとえば、12か月、毎月ガウディ建築を1つずつ紹介しているが、1枚の大きな写真と補助として4枚の小さな写真が付いおり、それぞれの写真を解説するページもある。ガウディ建築のお勉強もちょっとできてお得。新月・満月の表示を付けたので、釣り人や占い人にはお得かもしれない。

もっと詳しいことを知りたいという奇特な方は、こちらの「ガウディの遺産」カレンダー紹介ページを参照されたし

なお、カレンダーの販売は、カレンダー業界の老舗である「トライエックス(ハゴロモ)」様にご協力いただいています。「amazon」や「ビーケーワン」などのウェブショップ、「東急ハンズ」や「紀伊国屋書店」などの実店舗、生協のカタログなどで購入できます。

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新月の翌日

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<月の左から飛行機が接近中>

暮れかけた西の空に、細く糸を引いたような月がとつぜん現れた。飛行機が左から右へと月を横切る。二機、三機と東京湾へ飛び去っていく。ふと思い立ち、新聞紙を敷き、バリカンで頭を刈り上げ空を見ると、月はもうそこにはいなかった。ビルの地平線に消えてしまったのだろう。

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<写真の右端にゴミのように見える飛行機>

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2006年10月20日 (金)

ああ、田口!

今年の大リーグは総じて低調だった。

ヤンキースの松井(推定年棒1300万ドル)はこれからという時に怪我で離脱。ヤンキースはレギュラー・シーズンで優勝したものの、地区シリーズで早々に敗退してしまい、ゴジラ松井の逆襲を見ることはできなかった。

マリナーズは相変わらず弱っちかったし、200本安打を達成し盗塁数も増した記録男イチロー(年棒1253万ドル)は、出塁率と得点圏打率が低く、プレーヤーとしての魅力を欠いていた。チームへの貢献度という点でも疑問が残る。もう来年から200本というしがらみを捨てるべきじゃないだろうか。

大塚(175万ドル)は途中から抑えに転じよく大役をまっとうしたが、リトル松井(806万ドル)や大家(453万ドル)は論外だろう。年収ドロボーと言われもしかたないぞ。そんな低調な雰囲気にさわやかな新風を吹き込んだ選手もいた。マリナーズの城島(543万ドル)の小気味いいバッティングと、全く期待されてなかったドジャース斉藤(なんと50万ドル)の抑えとしての活躍だ。斉藤の年棒は跳ね上がってしかるべきだろうが、契約がどうなっていたか。

レギュラー・シーズンが終わり、もう大リーグにゃ楽しみはなくなった。と、思っていたら、もう一人しぶとく残っている選手がいた。

田口だ。

彼はセントルイス・カージナルスでは守備固めの控え選手。レギュラー・シーズンの打率は2割半ばで、ホームランも2本と非力。年棒も松井やイチローの十分の一以下と低い(83万ドル)。しかし、ポスト・シーズンでの活躍にはドキドキさせられる。

これまでのポストシーズン10試合のうち、田口は4回だけしか打席に立っていない。その4回の打席で、4打数4安打、2ホームラン、2塁打1本、4打点と神がかり的な成績を残している。リーグ優勝を決める試合で勝った3試合のうち、1試合は彼のホームランで勝ったといってもいい。

にもかかわらず、監督は先発で田口を出さない。劣勢なときでなければ彼を出さない。試合の流れを変える切り札と考えているらしい。彼を試合のどこ局面で出すのか、こちらも監督の気持ちになって戦況を見つめてしまう。カージナルスの試合には、そんなドキドキ感がある。

今日、カージナルスはリーグ優勝をかけ、ニューヨーク・メッツと第7戦を戦う。今日の試合は、勝たねばワールド・シリーズに進出できない最後の戦いだ。果たして、絶好調の田口は先発で起用されるのか、やはり劣勢を変える切り札として起用されるのか。

ドキドキしてしまう。

こんな風に選手の起用方法まで考えさせられる試合って、初めての経験かもしれない。ベンチで出番を待つ田口って、なんだかカッコいいぜ。

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2006年10月18日 (水)

人形市

平日、月火水の三日間、日本橋人形町では「人形市」が開かれている。人形町通り沿いに二十ほど張られた小さな青テントの中を覗き込む人、人、人。

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GR-Digital

一点で何十万円する工芸品もあれば、お気楽に手にとって買い求められ流布物もある。雛人形や来年の干支である猪(いのしし)のぬいぐるみ、ちょっと気のきいた創作人形の青テントには、年配の女性たちが居座って離れない。

あちこちで歓声が上がっている青テントもある。部屋に置いておくと呪われそうなアフリカ産の人形や、まるで生きているような西洋人形、おでんくんまでお出ましいただいている。

人形は苦手だが、人形に目を輝かせる人たちを見るのは悪い気はしない。水天宮に詣でる親子連れも混じり合い、赤子から年配者まで一緒に時間を過ごせる場所って、なんだかほんわかして、いいかも。

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2006年10月16日 (月)

秋は駆け足

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夕暮れどき、神社の境内に語り部来たる。猿蟹合戦など三作を石畳の上で聞く。体の芯まで冷えた。湯たんぽ代りに子を抱く父親が物理的にうらやましい。今時の子でも語りに興奮する様に驚く。語り部、ちょっといいな、と思った。

週末に野球できぬは久しぶり。突き抜ける青空に風涼し。もうすぐ新嘗祭(にいなめさい)だ。七五三、縁日、戌の日と、近くの神社はこれから大賑わい。ああ、秋が駆け足でやってくる。

走り去っていく前に、ひと仕事終えなきゃならぬ。夜風冷たく布団かぶって本を読む。窓を閉めろ、と叱られた。

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2006年10月12日 (木)

ピントずれてない?

いや、そのままでいい。

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夏が終わる

空がまぶしかった。
あんな快晴の空が五日間も続くなんてめったにない。
今日、人形町交差点で信号待ちしながら
空高く群れる雲を見上げていたら、
「東京の夏も今日で終わりらしいよぉ」
と、制服の女性の声が聞こえてきた。

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