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2007年3月15日 (木)

ガウディとコンドル

Img_4181c_2 一週間後にせまった「ガウディ」セミナーにむけ、上野まで写真撮影に出かけたのは3月1日のことだった。お目当ては旧岩崎邸。ガウディのセミナーに旧岩崎邸庭園の写真がなぜ必要なのか。直接の関連はないが、ネタのひとつとして仕込んでおきたかったからだ。そのセミナーはJTBが主催する「美術・建築の旅」の説明会に組み込まれたもので、いわば営業の一貫。とはいえ、バルセロナの友人、田中裕也氏が関わる旅の企画であり、いったん引き受けたからには、手抜きはしたくない。というか、こちらも楽しませていただきたい。

この写真は洋館の「サンルーム」から外を眺めた様子。

旧岩崎邸は、日本における近代建築の黎明期に活躍した、ジョサイア・コンドルという英国人建築家が設計したもの。若干25歳の若さで来日したコンドルは、建築工学校(後の東京大学建築学部)で教鞭をとり日本の建築界を担う人材を育てつつ、自らも丸の内煉瓦街や鹿鳴館、岩崎邸など、典型的な英国ビクトリア朝の洋館を建築した。彼の一番弟子たちには工学校第一期生の曾禰辰三(そねたつぞう)、辰野金吾(たつのきんご)、片山東熊(かたやまとうくま)らがいる。彼らは東宮御所、迎賓館、東京駅など日本を代表する建築物を次々と手がけていった。

コンドルと同じ歳のガウディは、バルセロナの地で26歳にしてようやく建築家の称号を得たものの、これといった大仕事もなく、数年は大学の恩師であり師匠にあたるホアン・マルトレールや、工匠ホセ・フォントセレーらのもとで下働きをせざるをえなかった。

そんなガウディの人生を大きく変えるできごとが起きたのは、彼が31歳のとき。恩師マルトレールのはからいで、新しく建築し始めたばかりの教会の主任建築家に抜擢されたのだ。

教会の名前は「サグラダ・ファミリア贖罪教会」。サグラダ・ファミリアとは聖家族のこと。聖家族とは、キリストとその両親、マリアとヨセフの三人。その三人をおまつりする教会が「サグラダ・ファミリア贖罪教会」というわけだ。当時その教会の建築が開始されたことを知る者はほとんどいなかった。なぜなら、聖ヨセフが守護聖人としてヴァティカン公会議で布告されたのは、ほんの十数年前(ガウディが18歳のとき)のことであり、その教会を主催する「ヨセフ信心者協会」は、単なるひとつの新興信仰にすぎなかったからだ。

今でこそ世界遺産のひとつとなっているが、当時はガウディが教会の主任建築家になったことなど、数年の間ニュースにもならず、誰も知らない興味の対象にない存在だったのだ。重要なことは、ガウディにとって教会建築家の称号と地位が、経済的な安定を保証すると当時に、宗教や政治にかかわる重要人物たちと接触する機会が一気に広がるきっかけになったこと。そして、ガウディの名声はグエル邸を建築して一気に広がるのだが、それは三十代後半のことだった。

そんなガウディと比較し、コンドルという人物は、年若くして「お雇い外国人」として破格の給与をもらいながら国づくりの一翼を担っていた。そんな話を説明会でのひとつの振りにしようと思っての写真撮影だったのだ。

しかしながら、3月7日の説明会に要した時間は約一時間。脇道にそれている時間的な余裕はなく、晴れ渡った空の下で撮影した岩崎邸の写真は、すべてお蔵入りとなってしまった。

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<洋館の正面>

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<洋館の背面、広い中庭がこの前に広がっている>

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コメント

 本日15:00から1時間余、岩崎邸を見学しました。壁紙、天井、階段、トイレなど多くの小物に注目してみてきました。帰ってからHP検索してコンドルを勉強していた中に、同じ若さのコンドルとガウディを比較して書いていらっしゃるブログを発見しました。早速、これからの私の考えの中に入れさせていただきます。比較ポイントを世界に広げた視点に感心しました。学ぶこと多く参考になりました。

投稿: 加藤雅喜 | 2007年3月17日 (土) 22時54分

加藤さん、このメッセージが何やら刺激になったようで幸いです。また何か新しい展開が見えるといいですね。

投稿: kawa | 2007年3月19日 (月) 04時09分

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