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2008年12月18日 (木)

メディアを造る意思

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        ●触覚はいつも敏感に●

■先日、NHK「公園通り(再放送)」に庄野真代さんが出演していた。ちょっと彼女に関係ある友人がいるので、話のネタに観ておこうか、と軽い気持ちで流し観する。

■ゲストは彼女ともう一人いた。■見知らぬ中年女性で、芸能人らしくない物腰。しかし、おだやかで品の良い美しさがある。表情の中に強烈に惹きつける何かがある。いったい、この女性は誰だろう? ■話を聴いているうちに、その女性が久保田早紀だとわかって狂喜する。きっと同じように感じた人が数多くいるに違いない。現在は久米小百合という本名で活動している、という。

■という、というほどにしか知らない。情けない話だ。久保田早紀のCDは私にとっては定番である。■歌い手に対する感情なんて、そんなものか…。結局、自分の都合が良いところで楽をしてズボラに生きるのだ。■心地良さをたくさんもらっているにも関わらず、発信している人に何も行動を起こさない。…薄情なもんだ、と自分で悲しくなる。そうしているうちに取り返しのつかないときを迎えてしまうのだろう。

■黙って座って情報を得られることに慣れきってはいないか? ■TVとかウェブとか、そんな便利な情報発信装置から恩恵を受けることに慣れきってしまい、自分の意思まで発信源に吸い取られてしまっていないか? 画一化された情報に感情が鈍化し続けていないか?

■新しいメディアを自分から造る努力を惜しんではならない。でも、どうやって…。

■あのTV番組は途中から観たため「異邦人」を歌う声は聴けずじまい。残念だったが、最近発表した「はじめの日」は聴くことはできた。■曲想の端々に以前の久保田早紀がいた。「ギター弾きを見ませんか?」「星空の少年」「真珠アイランド」…。今も前と変わっていない。彼女にしかできないメロディ。彼女でなければ表現できない世界がそこにはあった。■それだけではない。年齢を重ね、彼女が歌うさまは優雅さを増していた。彼女の口の動きにはなんとも言えぬ品の良さがある。■二十代前半だった久保田早紀は、二十年を経て久米小百合という熟成した女性に変貌したのだ。素晴らしい。

■久米小百合がこうしてメディアに再登場してきた背景には、ZARDが「異邦人」をカバーしたためだ。ZARDの「異邦人」はカバー曲としてはお粗末なできだが、こうして時を越え成熟したひとりの女性をメディアに再登場させた功績は大きい。

■番組の締めくくりとして、庄野真代と二人で「アメージング・グレース」を歌った。庄野真代はやはり歌姫だ。うまい。声の伸びが違う。サブに徹していた久米小百合も立派だった。

(2003年10月13日(月)の日記より)

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