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2009年9月30日 (水)

哀しみの裏側に何があるの?

「さらばシベリア鉄道」の出だし部分ですね。今日、TVで太田裕美が歌っておりました。「違うだろ?!」と、大滝詠一のCDで口直ししました。あっ、ごめんなさい。私はかなりヒットしたという太田裕美が歌うのを聴いたことがなく、大滝詠一バージョンしか知らんのです。息継ぎやアレンジが違うと歌詞の意味まで違って聞こえてきますね。それにしても、松本隆が紡ぎだす言葉は、ひとつ曲で物語を描いてしまう。

大滝詠一バージョン
http://www.youtube.com/watch?v=_8fEdb7wf7g

太田裕美バーション
http://www.youtube.com/watch?v=Hgxo9xJZruc

東京は雨。雨のウェンズデイ。少し冷えます。
こんな雨降る夜に、あなたは何を聴いているのでしょうか?

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2009年9月26日 (土)

草野球な週末

赤い帽子に誘われて、久しぶりに草野球の助っ人に行く。

場所は梅ヶ丘「羽根木公園野球場」。相手投手の球が遅すぎてタイミング合わず、二打席ノーヒット、一四球。参加者潤沢にて試合後半から守備につく。自軍投手抜群の出来にて、遊撃手としての守備機会なし。助っ人として十分な働きできず。試合結果は8対3。3点は取られたが、まったく負ける雰囲気なく完勝。楽しゅうございました。ビーンズの皆さん、呼んでくれてありがとう。

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午後1時、試合開始。初回から猛攻。日差し強し。
試合が終わった午後3時過ぎには涼風が吹いていた。秋近しか…。

野球場への行き帰り、渋谷を通る。土曜日の夕刻、駅周辺は人、人、人。井の頭線から銀座線へ乗り換える途中、思わずシャッターを切った。

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渋谷スクランブル交差点、午後3時半。

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2009年9月25日 (金)

ガウディカレンダー2010(詳細)

来年のガウディカレンダーは月めくりなので12枚あります。

01_jan_bg 02_feb_bg 03_mar_bg 04_apr_bg

05_may_bg 06_jun_bg 07_jul_bg 08_aug_bg

09_sep_bg 10_oct_bg 11_nov_bg 12_dec_bg

1月 「天に向かって落下する鐘塔」 サグラダ・ファミリア
2月 「自然に溶け込む人工造形」 グエル公園
3月 「鉄細工の魔術師」 グエル別邸
4月 「海底洞窟への憧憬」 カサ・バトリョ
5月 「モダン建築の先駆け」 グエル酒蔵
6月 「伝統様式の昇華」 カサ・ビセンス
7月 「伝統を打ち砕く独創性」 グエル別邸
8月 「パラボラアーチ連鎖空間」 サンタ・テレサ学院
9月 「王家のゴシック様式」 ベリェスグアルド
10月 「フニクラ構造の発見」 コロニア・グエル教会堂
11月 「波打つ岩」 カサ・ミラ
12月 「押し寄せる空間」 サグラダ・ファミリア

詳しくはここをクリックして「ガウディの謎」をご覧になるか、
こちらをクリックして「ガウディの遺産」をご覧ください。

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2009年9月24日 (木)

朋あり遠方より来たる

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「お前、白髪増えたなあ」

「そうなんよ。黒い方が少ないくらいや」

Mは苦笑いしながら言った。

午前九時。地下鉄半蔵門線「水天宮前」駅5番出口で待ち合わせしたのだが、Mは30分前には駅に着いていた、という。

「汗っかきだからさ、コンビニで涼んでた」というではないか。馬鹿言ってんじゃないよ、着いたらすぐに連絡しろってんだ。

季節の便りやメールなどで連絡は取り合っていたが、最後にMと会ったのは、もう二十年以上前の話。十五歳から四年間は寮で同じ釜の飯を食らい、半年は同じ下宿屋でひとつの部屋を二人でルームシェアした友。歩く雰囲気だけですぐに分かる。

人形町『芳味亭』でMと少し早目の昼食をとった。帰り際、店の女将が私に普段は切ることない領収証を無言で渡した。ちゃんとした企業に勤務しているちゃんとした背広を着たMを、女将はうちのクライアントだと思ったようだ。

今日は得意先を回り、日立に宿泊し、Mは明日、九州へ戻る。

時間と空間を飛び越えて現れる存在が、ある限界を超えて近くなると、こちらが異次元へ弾き飛ばされる。その瞬間は嫌いではないが、怖い。「東京で会おう」と、九州にいるMから連絡をもらったとき、「お前をさらいにあした行く」という声がどこからか聞こえた。

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2009年9月23日 (水)

捨てられぬ名刺

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毎年のことだが、カレンダーができてくるこの時期に住所録を整理する。いただいた名刺は住所録データベースに入力すると、破棄するのが習いだ。とはいえ、捨てられぬ名刺がどうしてもある。この1枚もそうだ。

山下氏とじっくり話をしたのは一度きりしかない。経済評論家、荻原博子氏が提唱する節約術がパソコンを使えば簡単にできる、という本を同社から出版するための企画会議の席だった。荻原氏ご本人はそのときは出席しておらず、担当編集者と山下氏、執筆担当者の鈴木と私の4名だけ、という小じんまりした会議。どのような本にするか、どう進めるか、当面の話はすぐに終わった。

『荻原博子のパソコン使っておいしい節約』
荻原博子・鈴木眞里子 著
1999年11月11日初版発行、インプレス

山下氏が企画した「できる!シリーズ」の原型は、製品マニュアルの世界には既に存在していたし、ただ、市販される書籍にあの形式を持ち込んだのは、山下氏が初めてだったですよねえ、という思い出話をすると、そこから会議は思わぬ方向に進んだ。

1990年代初頭は、まだDTP技術が十分には進んでおらず、あのフォーマットを版下作業で組むには非常に手間がかかるため、誰も手を出したがらなかったとも言える。たとえば、「できる!シリーズ」より2年ほど前、1993年の春に出版された『カ・ン・タ・ン OS/2』という本がある。「できる!シリーズ」と似たようなフォーマットで制作されている。

私はその基本フォーマット作りと編集を手伝っただけだが、その制作は非常に手間のかかるものであった。A社制作スタッフたちが作業する工程を見てよく知っている。この本は日本IBMから出版された市販されることを前提に書かれた製品マニュアル本で、その年、業界のマニュアルコンテストで「年間最優秀マニュアル」という評価を受けた。当時はまだバブル崩壊前で、企画から執筆・編集・制作に至るまで、潤沢な予算と人材を確保できた時代でもあった。面白いフォーマットで制作されたマニュアルはほかにもいくつかある。この本はOS/2の消滅と共に業界からも市場からも消え去った。

『カ・ン・タ・ン OS/2』
日本アイ・ビー・エム株式会社
1993年4月24日初版第1刷発行
執筆 製品情報設計・開発
基本設計 グエル
編集制作 阿部写真印刷編集部

そんな昔話が一通り終わると、これからどんな本を作っていきたいか、という新しい企画のブレストが始まったのである。次はこんな本、あんな本を作りたいですね、という楽しい会議だった。それは1999年の春。十年前の話だ、山下氏からいただいた名刺には、「書籍統轄編集部 編集長」という肩書。その年の暮れ近くまで出版は延びたが、なんとか出版までこぎつけた。

この本が出版される前、彼は別の部署に配属され、いろいろあってなかなか連絡が取れず、次の企画を出せないまま日が過ぎた。そして、その翌年の夏、友人K氏から彼の訃報を受け取った。山下憲治氏、享年34歳(1965~2000年)。

この人の名刺は捨てられない。住所録データベースからも彼の項目を削除することはできない。今でも彼のウェブページはインプレスのウェブページに残されたままだ。

「Ken's Home Page」
http://home.impress.co.jp/staff/ken/

捨てられぬ名刺を一枚一枚繰りながら、そんなことを思い出すのも、この季節の習いとなっている。

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2009年9月22日 (火)

君をさらいに あした行く

0920a 自分の言葉にギョッとして目が覚めた。

連休に参加した空手ミニ合宿三日目の早朝、 目が覚めると汗でぐっしょり。熱が出たもよう。 この二日で体ボロボロ、頭ヘロヘロ夢の中、

「君って、誰よ?」

と、下着を着替えながら、しばし記憶をたどる。最近だれかにそんなこと言ったか、ないない、昔そんなこと言ったっけ、わからん、映画か舞台かで耳にしたか、うむむ、などと考えていたら、二度寝していた。

二度寝のお陰か熱下がり、何もなかったごとく三日目の稽古に出席。六時間絞られ出る汗なくす。

 

しんどい稽古がオマエを明日さらいに行くぞ、というオチかい? いや、そうじゃないだろう。多分、たぶん…こんな文章が書けなくなったからじゃないか。 いつになったら、また言えるようになるのか。「君をさらいに あした行く」なんて。

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2009年9月18日 (金)

ガウディカレンダー2010

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ガウディ建築を紹介するカレンダーが出来上がりました。今年で8回目になります。今回は建築物が持つフォルムに焦点を当てようと、モノクロ写真をあえて選択。とはいえ、スミ一色だけで印刷しているわけではありません。大きさはB3サイズ。いつもより小さめです。

友人の皆さんの手元には10月末頃にはお届けする予定です。カレンダー販売を専門としているトライエックス様やハゴロモ様にご協力をいただき、今年も amazonさんなどで発売予約が開始されています。ありがたい。

上の画像をクリックすると、大きめの画像が表示されますよ。カレンダーで紹介される写真について、来年は毎月、その建築物を解説したり、写真を撮影したときのエピソードなどもお話していこうと思っています。

1月から12月までのすべての写真を、もうひとつのブログ「ガウディの謎」のほうにアップしましたので、よろしかったら、こちらをクリックしてみてください。写真の説明もあります。

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2009年9月16日 (水)

鳩山党首と松坂投手

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<お弁当/内容とは関係ないかな…>

2009年9月16日、東京は今日も晴天。青空高く日差しまぶしく、少し汗ばむ暖かさなるも吹く風涼し。一年でもっとも過ごしやすい秋らしい晴天が続いている。

この日、民主党代表である鳩山由紀夫氏が国会で首相に指名された。

選挙で与野党が逆転したのは、民主党が提示したマニフェストに大多数が賛成したからではない。政権交代が望まれたのは、切羽詰まった現状を認識できぬ自民党に、私も含めた多くの大衆が愛想をつかしただけの話。なんて、誰しも感じていることだろう。とはいえ、政権交代後に誰が何を担当するのかを具体的に準備してきた政党は今までなかったことは事実だ。

この日、西海岸シアトルでは、イチロー選手が表彰されていた。

2000本安打達成と9年連続200本安打達成。日本で大騒ぎするほど大リーグでは評価されていないが、めったにできないことを目標に決め達成したのだから、すごい。

この日、アメリカではレッドソックス松坂投手が三か月振りにマウンドに立っていた。

球場はボストン・フェンウェイパーク。地元だ。登板した松坂は、立ち上がりこそ球に乱れがあったものの、回を追うごとに調子を上げた。球速を落としキレで勝負していたのかもしれない。先に2点を先制してもらった松坂は6回を無失点に抑え、7回、先頭打者を四球で歩かせたところで降板。観客たちは立ち上がり、ベンチに戻る松坂を大きな拍手で見送るのだった。

みなどれ程の準備を積み重ねてきたのだろう。

その夕刻、日本では鶴竜力三郎(かくりゅうりきさぶろう)が初日から四連勝を飾るのをTV観戦しながら、「安馬が強くなったときに似てるな」と思いながら、ブログをリニューアルした。

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2009年9月10日 (木)

こだわらぬ人

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<仙台メディアテーク:図書館>

やはり、人との出会いが人を変えるのでしょうか。

長年に渡りほぼ毎日、丹念に書かれたメッセージを発信し続けているブログを見ていると、語るべき受け手の顔を漠然とながらもしっかり念頭に置いていることが分かる。私が十年ほど前から数年に渡りほぼ毎日更新していたウェブページを見直してみても、ある特定の読み手を意識していたことが明らかである。

数年前にブログという便利なツールが登場し、ウェブページからブログに乗り換えてみたのだが、どうも折り合いが悪い。とはいえ、当初は以前と同じノリでほぼ毎日更新していた。残念なことに、日記風のメッセージが爆発的に垂れ流しされる状況に辟易し、この二三年、乗り換えたブログの更新が滞りがちになっている。そんなブログへの思いが、ある出会いによって見直されることになろうとは、思ってもいなかった。

ひと月ほど前の話だ。東北大学で打ち合わせがあるという友人の付き添いで杜の都、仙台へ行ったときのこと。イラストレーターである友人、奈良島知行氏にとって今後の事業や広報活動を展開するために重要な打ち合わせだった。会議は短時間だったが、N氏から提示された案は非常に有意義で有難く、私も背筋の伸びる思いがした。その後、仙台にある魚が美味しい和食屋で舌鼓を打たせていただいた。大好物であるさんまの刺身は初物であったし、敬遠しがちだったほやも、生まれて初めて旨いと感じたし。さすが仙台である。微妙な味わいに浸っていると、味覚だけでなく他の感性も喚起されるのかもしれない。その夜に東京に戻らねばならず、N氏の上司であるO女史との話を泣く泣く打ち切り、新幹線に飛び乗ったのだった。

余談だが、夕方からの打ち合わせにも関わらず、午後1時には仙台入りし、伊東豊雄氏が設計した「仙台メディアテーク」を長い時間かけて見学していた。伊東氏はおそらく、現代の建築家のなかで最もガウディ建築をよく理解し、ガウディの建築思想を自身の建築に取り入れている建築家の一人といえる。そして、「仙台メディアテーク」こそ、彼の有機的建築への試金石となった記念碑的建築物。仙台市民がうらやましい。

仙台へ足を伸ばした翌々日の八月六日、会議に出席する奈良島氏に同行し、京都へ移動した。深夜、ホテルに戻りメールチェックしたら、O氏からのメールが。東京でタイトな会議があるので、せめて夕刻には旨いものを食して仙台へ戻りたい、という。「六兵衛」の話をO女史はチェックし、タイトなプレゼンをした後で息抜きになるかもしれぬ、と、私を誘ってみたのだと思う。その、なんともこだわりのない行動に私は感動した。

一泊し奈良島氏と東京へ向かう新幹線の窓からは、にわかに層を増す黒雲が見てとれた。その夕刻、とんでもない豪雨が東京を襲う。地下鉄銀座線「末広町」駅でO女史と待ち合わせたが、出口が交差点を挟んで反対側。ほんの少し歩くこともはばかられる豪雨なのだ。「鳥つね自然洞」までは駅出口から徒歩二分ほどだが、交差点を渡り店に着くまでに傘をさしてはいても膝から下はびしょぬれ。重要なプレゼン用に準備した上質の彼女の黒いヒールが台無しに…。ああ。

「鳥つね自然洞」で奈良島氏をふくめ四人で食したコース料理は、品数が少ないお手ごろなもの。はたして彼女を満足させられたかどうかは不明だが、こだわらぬ自由なその軽やかな行動に敬意を表したい。そして彼女がほぼ毎日更新しているブログでの立ち位置を見て、私もまたブログというツールを活用する勇気が湧いてきたのだった。

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