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2009年10月13日 (火)

マックス・ブレーデル

マックス・ブレーデルはアメリカで医学イラストレーションの父と言われているが、音楽家であり芸術家でもあった。

23歳のとき彼は、前年に開校したばかりの医学学校に勤務するケリー博士から、解剖学のイラストを描くよう依頼を受けた。その年は、アメリカのモータリゼーションの開幕を告げるフォード社が産声を上げた1894年のことだった。

ちなみに、その頃の日本はまだまだ極東の小国に過ぎない存在であった。明治と年号が変わり四半世紀を経て国力を蓄え列強に対抗すべく、日本は日清戦争へ突入した年でもある。スペインではガウディが不惑の年を迎え、サグラダ・ファミリア創設者の後継者が次々と没し、いよいよキリスト教へ本気で帰依せんと、断食を敢行していた。間もなくスペインはキューバを失い、帝国としての力を失う。世界の勢力は、ピレネー山脈を越えた国々や海を隔てたイギリスやアメリカへと移りつつあった。

マックス・ブレーデルはそんな時代に、ワシントンに近いアメリカ東海岸の都市、ボルチモアで医学の発展に寄与するイラストレーションを描き続けたのだった。そして、十数年を経た1911年、「医学アート学部」がジョンズ・ホプキンス大学医学学校に開設され、彼は後進の指導にもあたった。学部が開設されてから今年でちょうど百年になる。研究者たちからの信頼と社会からの受容があったればこそだろう。

アメリカにはそのような学部やプログラムを有する大学が数校ある。そのような学部は日本にはない。専門職としてのサイエンス・イラストレーターもまだ存在しない。

「マックス・ブレーデル」をGoogleで検索してみると驚く。ヒットする件数が2件しかない。彼を紹介した記事は1件もない。ただ1件だけ、ある高名な医学者が接した人たちの一人として書かれたものがあるだけだ。

日本では最近、裁判員裁判で法医学イラストレーションだけが突出して取り上げられるようになったが、サイエンス・イラストレーションに対する認知度はほぼ皆無といってよいだろう。アメリカで四半世紀に渡ってサイエンス・イラストレータとして活躍してきた奈良島知行氏の今後の活動に期待するばかりだ。

Max Brödel (1870 - 1941)

「裁判員裁判とイラストレーション」参照

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