文化・芸術

2010年3月 7日 (日)

ORDNING&REDA

最新情報の整理用に使っているのは、十年前にキラー通りで購入したバインダー7冊。紙製が4冊、プラスチック製3冊。

ORDNING&REDAは女性スタッフが9割を締めるスウェーデンの文具屋さん。「オルドニング・アンド・レーダ」と勝手に読んでいるが、現地ではどう呼ばれているのだろう? 数年で日本から撤退してしまったのが残念でならない。フィンランドやノルウェーなどの地元北欧から、ドイツ、イギリス、フランス、スペインまで、欧州全域に店舗展開しているようだ。しかし、アメリカに店舗はない。色合いも肌ざわりもアメリカ的じゃないのか。少なくとも私にとっては心地よく手放せぬアイテムだが、さすがに十年も使っていると、紙もゴムもへたってきてる。また日本へ参入してくれないものだろうか?

ちなみにメルマガはスウェーデン語だけ、ときてる。せめて英語で配信してくれよお。

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2010年2月26日 (金)

詰め込んで書く快感

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2010年2月24日 (水)

理科はすきですか

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京都駅、新幹線ホームで見た「村田製作所」 からのメッセージ。

「理科はすきですか」

という看板を見た。京都大学医学部あたりに用があってね。理科はずっと好きだよ。でも、男子寮で五年間勉強してたから、理科の記憶はモノクロームさ。溶接のスパークや真っ赤に溶けた鉄や実験室で床に落とした試験管の破片にこびりついた真黒な触媒とか、ね。君が着てるブリリャント・ブルーにあの頃出会っていたら、研究者への道を歩んだかもしれない。

東京へ向かう新幹線最終電車のなかでウトウトし始めると、「理科はすきですか」と彼女がまた話しかけてきた。目の奥にブリリャント・ブルーがその都度やってくる。そして、はたち前にグイッと連れ戻されるのだ。そうしていつの間にか電車は新横浜を通り過ぎていた。

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2010年2月15日 (月)

リテラシィ

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2010年1月23日 (土)

時空を超えて

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干し柿

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2010年1月12日 (火)

AMI, la bailaora!

これほど美しいフラメンコを踊る人を私は知らない。

フラメンコのライブでは3~4名の踊り手が交代して舞台に立つが、AMIさんが踊り出すと周りの空気が一変する。

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<昨年3月「エル・フラメンコ」講演のパンフレット>

フラメンコを見せてくれるレストランをタブラオという。日本にもいくつかある。新宿にある「エル・フラメンコ」は有名で大きな舞台だが、草分け的存在は高円寺の『カサ・デ・エスペランサ』で、本場のタブラオに近いという。入口からして喫茶店みたいだ(以下の写真)。

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<昨年11月に撮影した店の写真>

『カサ・デ・エスペランサ』のライブは通常、毎週木金土日の四日間だけ。ただ毎年一月は、新春を祝ってほぼ毎日、舞台がある(右下のスケジュール参照)。1月12日、今年も武道の師匠と一緒にAMIさんの新春タブラオライブを観た。

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<『カサ・デ・エスペランサ』舞台上から撮影。舞台はこの幅しかない>

AMIさんの踊りは、武道に必要な体の使い方に相通じるところがある。空手でどんなに複雑な動きをしようと、究極は体の軸に帰結する(と思う)。軸がぶれると余分な力が入いる。力強く素早く動いているように見えても、そんなものは素人だまし。軸がぶれぬ立ちでなければ、しなやかなで美しい動きも、体力を超越した弾ける力も生まれない。動きに対する自分なりの新しい解釈も生まれない。相手を感じることもできない。AMIさんの動きは、今の自分のレベルではとても言葉で語り尽くせない。とにかく、美しい。

AMI, la bailaora!(アミ・ラ・バイラオーラ)

最高の踊り手にできることは、拍手のみ。

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2010年1月 9日 (土)

懐紙と「JIN - 仁」

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「風呂敷のままいただいてください」

小ぶりの風呂敷に包まれていたのは、二つ折りの和紙の束が三つ。それが友人O嬢からの手土産だった。

今朝、久しぶりに訪ねてきたヨーチャンは、社員千人ほどを有する大きな出版社に勤めている。新聞社系の出版社なので、編集者でなく記者という肩書きが長かった。ずっと和の心に惹かれており、若い頃から和服を着こなし茶会に足を運んでいたらしい。そんな席に欠かせないのが、今日の手土産だった。ふところに忍ばせる紙、つまり「懐紙」である。けして高価なものではない。久しぶりに会うからこその選択。彼女らしいな、と思った。

懐紙には季節を予感させる絵柄や干支が透かしで入っていたり、あるいは模様が淡い色で漉かれていたりする。主に茶席で使われる。菓子を載せたりくるんだり、軽く口を拭ったり・・・。ちなみに、懐紙は「かいし」と読む。

いただいた懐紙は『鳩居堂』謹製。銀座のど真ん中、四丁目交差点に立っていると、どこからともなくお香の匂いがしてくるときがある。それは『鳩居堂』から漏れてくる香りで、店はそんな一等地に陣取っている。懐紙だけではやってられない。店では書にまつわるもろもろの品を揃えている。ちなみに、「きゅうきょどう」って読めたかな?

この店はかなり古い歴史を持っている。にもかかわらず、なぜ「鳩」が屋号に入っているのか、気になった。

西欧では鳩は平和の象徴として頻繁に目にする。キリスト教やイスラム教では聖なる使いとして欠かせない存在だし、鳩舎塔(きゅしゃとう)で集めた糞を肥料にしたり、生活にも鳩は密な関係があった。空に向かって突き上げる鳩舎塔の形状は、アントニオ・ガウディがサグラダ・ファミリア聖堂やコロニア・グエル教会、タンジール教会施設の斬新な構造を発想させる温床ともなっている。飛び交う鳩の数も圧倒的に多い。バルセロナで空を画角に入れてシャッターを切ると、写真のどこかしらに飛んでる鳩を発見してしまう。建築物を飾る彫刻にも鳩がモチーフになることが多い。どこにいっても鳩だらけだ。ところが、日本ではどうだ。神社仏閣で鳩を見たことはほとんどない。狐や狸、犬や猿は祀られても、鳥はどうか。彫り物でも、せいぜい雉(きじ)くらいで鳩は見ない。昔から鳩と親しくする文化が日本にあったのかよくは知らぬが、とにかく、なぜ『鳩居堂』なのか、と。

とはいえ、日本でも鳩を見ない日がない時期はあった。四十年ほど前の「伝書鳩ブーム」だ。私の田舎、長崎の住宅地では、1ブロックに1件の割りで鳩を飼っていた。朝になると「クッークー、クッークー、・・・」と鳩の鳴く声が聞こえたものだ。谷あいに挟まれた狭い長崎の空を物凄い数の鳩が飛び交っていた。大空を隊列をなして飛ぶ鳩の姿は美しく、子供心に鳩への愛着を植え付けた。しかし、いいことばかりではなかった。鳩は生き物だから糞をする。巣の中で用を足してくればいいが、訓練されたペットのようにはいかない。犬や猫は走りながら用を足すなんて芸当はできないが、鳩は違う。飛び上がったときや、飛んでる最中に器用に糞をする技術を持っている。飛び上がったときに、「どうも今日は体が重くて飛びにキレがなくてイヤだなあ」と、鳩が思ったかどうかは知らないが、そんなときは「ブリッ」と糞と水分を放出して体重を調整するのだ。その落下物を人間様は喜ばない。伝書鳩が落とす糞の被害があちこちから上がり、学校のPTAで大問題となり、ブームに終止符が打たれた。

最近、東京では鳩が隊列をなして飛ぶ美しい景色を見ることはない。公園で人様から餌をふんだんにもらってる太った鳩ばかり。

実は私の頭上1メートル先に鳩が住んでいる。窓の上のひさしに巣を作っているようで、日に何度も書斎の窓めがけて鳩が飛んでくる。変に刺激しないよう、レースのカーテンを閉じてはいるが、鳩が大きく羽ばたいて近づいてくるさまを間近で見ると、けっこう迫力がある。油断すると、「オオッー」と、声を上げてしまうほど驚かされることもある。雛が成長すれば、そのうちいなくなるのだろう。鳩が嫌いでないことは確からしい。だから、なぜ『鳩居堂』なのか、と。

『鳩居堂』さんのウェブサイトの「鳩居堂の歴史」を見てみたら、銀座が本店かと思っていたら、いや本店に違いないのだが、京都にも本店があり、製造所も京都にあり、元はと言えば京都からやってきたものだと分かった。開業したのは350年ほど前の京都。江戸時代も初期の頃。最初は薬屋だったという。その屋号は儒学者が『詩経』の一節より命名したらしい。開業した熊谷さんは20代目で、初代は熊谷直実という武将。「軍功により源頼朝から「向かい鳩」の家紋を賜りました。」という記述がサイトにあった。なるほど、それで『鳩居堂』なのか。屋号のいわれは分かったが、それでも、なぜ「鳩」なのか、今でも分からない。理由を知ってる人がいたら、ぜひ教えてほしい。

(以下、「鳩居堂の歴史」より抜粋)

1180年 熊谷直実(くまがいなおざね)が、軍功により源頼朝から「向かい鳩」の家紋を賜りました。

1186年 一の谷合戦で熊谷直実が平家の敦盛を討つお話は、文楽や歌舞伎の人気狂言「熊谷陣屋」で上演されます。舞台で使用される陣幕には「向かい鳩」の紋が漢数字の「八」のように描かれており、のちの「鳩居堂」と関連があります。

1193年 熊谷直実は出家して、法然上人の弟子になり、「蓮生(れんせい)」と名乗りました。

1663年 熊谷直実から数えて20代目の熊谷直心(じきしん)が、京都寺町の本能寺門前にて、薬種商「鳩居堂」を始めました。屋号は儒学者・室鳩巣(むろきゅうそう)の命名です。由来は中国の古い時代の民謡集『詩経』の召南の篇にある「維鵲巣有、維鳩居之」で、カササギの巣に託卵する鳩に、「店はお客様のもの」という謙譲の意を込めたものです。また、室鳩巣の雅号と熊谷家の家紋「向かい鳩」にちなんだ屋号でもあります。

1880年 宮中の御用を勤める必要から、明治13年銀座尾張町(現在の銀座5丁目)に木造平屋建の東京出張所を開設しました。

1942年 個人組織であった鳩居堂を3つの法人に分割し、製造部門=鳩居堂製造株式会社、販売部門=株式会社京都鳩居堂・株式会社東京鳩居堂としました。

鳩居堂の歴史」を読んでいたら、TVドラマ「JIN - 仁」で取り上げていた江戸時代に蔓延した「コロリ」の話があり、目が止まった(以下に抜粋)。劇中では主人公を援助したのは醤油屋だった。醤油屋のご主人は病にかかることはなかったが、実際に病気の撲滅に尽力した『鳩居堂』のご主人はその病気で逝ったというではないか。無理に美談にしなくてもよいが、そんな話もドラマに盛り込まれても良かった気がする。

1850年前後 4代目熊谷直恭は、文人墨客との交流のほか社会奉仕にも志が篤く、天然痘の種痘所を設けたり、コレラ対策に力を注いだりしましたが、自らも1859年、コレラに感染して多彩な一生を終えました。

そろそろ花粉の季節がやってくる。ポケットに突っ込んだティッシュを取りだして鼻をかむより、懐紙をお使いになってはいかが? 「かいし」と読むが、「ふところがみ」と読みたい気もするが、どうだろう。

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ゆず湯

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「自宅の庭でとれたんですよ」

と、人形町まで訪ねてこられた空手の先輩から、昨日、ゆずをたくさんいただいた。澄んだ黄色が鮮やかで、テーブルの上で小物と並べてみたり、濃い緑の革製のソファーに転がしてみたり、しばらく眺めて遊ぶ。その夜はゆず湯。しっとりと湯がぬるむ。グレートーンに統一された風呂の中でも、この黄色は鮮やかだったが、木肌の湯船だったらもっと風情があっただろうに・・・。

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お囃子(おはやし)

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<水天宮>

六時間づれた規則正しい生活が続いている。夢の中でずっとお囃子(はやし)が聞こえていたが、それは夢ではなかった。隣りの水天宮では獅子舞が奉納され、笛と太鼓の音が一日中鳴り響いていた。今日は格別に寒く、演じる方々は凍えておられた。

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