バルセロナ記

2007年5月26日 (土)

写真が変化するとき

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この白髪のご婦人はこのベンチに、
いったい何時間すわっていたのだろう。

バルセロナに到着した翌日、青空にそびえるサグラダ・ファミリア周辺を何度か回った。カメラに装着した4ギガのメモリを写真のデータが満たし、詰め替えた2ギガの補助メモリーも満杯となった。三時間は撮っていただろう。ペンションに戻る帰り道で、私はこのご婦人をまた目にした。最初は確か本を読んでいるようだった。二度目は編み物。三度目は誰かと話をしていた。四度目にただじっと座っている姿を見て、シャッターを切った。

この旅行の目的のひとつは、来年のカレンダー用にガウディの建築物を撮影することだった。しかし、こうして歩き回りシャッターを切っていると、本来の目的から離れたところに意識がどんどん移ってしまったのだった。

二週間滞在して撮影したのは五千枚ほど。毎日動き回って撮っていれば、それくらいの枚数にはなる。ほとんどの写真は使えないものばかりだし。それでも撮り残した場面や、実験できなかった試みも多い。とはいえ、このひと月、撮影した写真を繰り返し眺めていて、撮り方が変わってきたことを感じている。

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2007年5月23日 (水)

白い怪物

ガウディ建築を撮影しにバルセロナの地に降り立ったのは、2007年4月17日の深夜だった。その日はすぐに床につき、翌日の早朝からさっそく行動を開始した。

十年前と比較すると、ガウディの建築物はバルセロナの観光資源として陳腐に整備されてしまい、被写体としての魅力を落としてはいたが、その存在感は以前より際立って見えた。私の興味は、ガウディの建築物そのものでなく、その建築物が街にどのように溶け込んでいるのか、に移っていた。

早朝から夕刻まで街を歩き回る。カメラのメモリが満杯になったので、ペンションに戻り、データを移す。気がつく外は暗くなっていた。少し眠っていたらしい。ペンションの玄関を開けると、目の前にサグラダ・ファミリアが白く映っていた。

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120メートルの塔に向かって歩き出した。

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夜空に真白に輝く建物が迫ってきた。

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サグラダ・ファミリアの西側にある「嘆きの門」に着く。
白い蛍光色でライトアップされたこの門は、まるで白い怪物だ。
この「嘆きの門」はガウディの作品と認められておらず、
世界遺産からも外されている。

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建物をぐるっと回り、池をはさんで東側にある「誕生の門」を眺める。
黄金色に見えるのはライトの色ばかりではないだろう。
現在は南側に位置する「栄光の門」と中央塔が建設中。

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2007年5月21日 (月)

月夜に歩く

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終電のがし宿まで歩く。

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2007年5月18日 (金)

木を植えた男

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ガウディが生まれ育った土地は、彼が建築家として華々しい活躍をしたバルセロナではない。バルセロナ県から南に一時間ほど高速道路を南西に走らせたところにある。タラゴナ県レウスとリウドムスという町だ。そのリウドムスという小さな町に、この四月のサンジョルディの日に合わせ、公園が開園した。公園の設計をまかされたのは、なんと日本人。田中裕也という建築家である。彼はこの公園に日本風の仕掛けを導入した。それは、水琴窟(すいきんくつ)と桜の木の二つ。
そのことを田中氏がブログに書いたところ、大阪の造園家、武部正俊氏が「私がなんとかしましょう」と、手を挙げた。三年前のことである。水琴窟は技術力があれば現地でもできるが、桜の木はいろいろな事情から日本から直接送ることができない。そこで、武部氏はオランダから桜の苗木を持ち込み、ガウディ生誕の地に植樹した。三分の一は枯れたが、三分の二は生き残り、なんとか育った苗木がこの四月にリウドムスの公園に移植されたのだった。

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その行動する力はいったいどこからわいてくるのだろう。資金面での問題も自分で解決した。友人たちからの募金はあったが、すべて自費でまかなったのだった。

その高い志に触発されたのか、ガウディ研究の第一人者のバセゴダ氏が、ガウディ研究所として利用されているグエル別邸の庭にも桜の木を植樹する許可を与えた。
武部氏は、公園の開園を祝う式典で町の人たちから大きな拍手とともに称えられると、その翌日、バルセロナまで同行した数人のスタッフたちとグエル別邸におもむき、桜の苗木を植樹したのだった。

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最初に植樹された苗木たちのなかには、すでに花を咲かせた始めた桜もある。ガウディの町で桜が満開になる日は遠くないだろう。

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2007年4月28日 (土)

カルカソンヌ

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カルカソンヌへバルセロナから車を飛ばした。片道約二時間半。高速道路を平均時速120キロで現地のドライバーがベンツを走らせる。スペイン国境を越えフランスに入ると、すぐだ。

カルカソンヌは中世の城砦都市。町には昔からの住人たちが普通に生活している。世界遺産に指定されてからは土産物屋が増え、小奇麗になったという。ここは人と文化の交差点。ピレネー山脈をはさみバルセロナと対峙する場所にある。アルプスとピレネーに挟まれ地中海をのぞむ平地に立つカルカソンヌ城には、多くの異民族たちが次々と押し寄せてきたという。

今回の旅はガウディ建築を巡るのが目的なのだが、バルセロナで合流したメンバーのなかに、どうしてもカルカソンヌを見てみたいというグループがあり、日帰りの遠足に同行したのだった。

まあ、カルカソンヌはガウディとまったく関係がないわけでもない。ガウディも訪れたことがある。また、ガウディがバイブルのように読みふけった書物との関係もある。フランスの建築史家ヴィオレ・ル・デュクが著わした「建築事典」と「建築講話」がそれだ。ヴィオレ・ル・デュクはパリのノートルダム大聖堂や、今回訪問したカルカソンヌを修復した建築家としても名を残している。ちょっとこじつけっぽい遠足だったかな。

ちなみに、ガウディはヴィオレ・ル・デュクによって修復されたばかりのカルカソンヌを訪問したとき、見るべきものはない、と、さっさとバルセロナに帰ってしまった、というエピソードが残されている。

続く…。

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2005年2月26日 (土)

聞かざるべし

IMG_3700c 出迎えてくれた夕陽は夕焼けに、そして一気に夜がやってきた
バルセロナ記:初日 <2005年2月14日:到着は夜、そしてバル> ■午前7時、すっかり明けた東京の自宅を徹夜のまま辞す。徒歩3分の東京シティエアターミナル(TCAT)からリムジンバスに揺られ成田に到着。旅行会社と約束していた場所で、格安チケットを受け取り、搭乗手続きをし、手荷物を預ける。カメラやレンズ、パソコンが入ったずっしり重い機内持ち込み荷物を抱え、見送りにきてくれた妻と飛行場内の「赤坂璃宮」で朝食。思いがけぬ美味に得した気分で、海外ローミングサービスの予約カウンターにて携帯電話を受け取り、両替をし、妻に別れを告げ、出国手続きをする。免税店でガムと水、コイーバのシガリロを所望し、搭乗時間を待った。 ■成田を午前11時に発ち、同日午後6時30分にバルセロナ着。7時間30分で到着したわけではなく、時差がマイナス8時間あるため、実際には15時間30分経過していた。飛行場でユーロに両替をし、タクシーでホテルに着いたのは、飛行機を降りた1時間後の午後7時前。外気がさほど寒く感じられなかったのは、少し興奮状態だったからかもしれない。 ■午後8時、友人の田中裕也氏がホテルを訪ねてきてくれた。バルセロナではちょうど夕飯どき。さっそくバルへ繰り出し、明日からの作戦会議を持つ。旅程の打ち合わせをしながら飲む。

■バルセロナ空港に着陸したとき、まばゆいばかりの夕陽が飛行機の窓から差し込んできた。天気予報では曇りとなっていたが、バルセロナの空に見えた雲はわずかばかり。オランダのスキポール空港を経由した成田からの旅は、あっけないほど問題なく完結したのだった。
■それは、オランダまで同席した親子との出会いが嬉しかったからだと思う。社会人になったあと、スペインに留学した娘は、この3月に再就職する。初出勤を前に、娘は母親を旅行に誘った。母の足腰がまだしっかりしているうちに、自分が留学していたスペインを案内したかった、という。母親は二年前に亡くした連れ合いとの生活に訣別し、新しい生き方を模索しなければいけない、と言っていた。私は早く逝ってしまった両親を想い、こんな風に一緒に旅行をできなかった後悔の念が再燃し、この親子とつい話し込んでしまったのだった。
■オランダを経由しベルギーにむかうという親子と、スキポール空港で別れたが、別れしなに、私は簡単な自己紹介をした。とはいえ、相手のお名前を聞くことは女性に対して不躾(ぶしつけ)に思われ、親子のお名前は聞かないまま別れた。縁があれば、またどこぞで会うかもしれぬ。
■さて、旅は始まったばかりだ。

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2005年2月24日 (木)

帰国しました

IMG_4760c 朝焼けの向こうに何がある?(サグラダ・ファミリア)
■昨日、バルセロナから帰国しました。写真を撮影し、cavaをがぶ飲みし、知らぬ間に居眠りをした現地での8日間でした。バルセロナは最低気温が0度近くの低温でしたが、1日約300回ほどシャッターを押して大粒の汗を流し、お気に入りのランブラス通りのショコラ店にも顔をだせないままスペイン料理を堪能し、撮影したデータのバックアップをとりながら夢うつつのまま帰国したのでした。 ■写真を撮りながら、私は泣きました。ガウディ建築を観光収入源とする輩(やから)の台頭に。コロニア・グエル教会堂の無残なまでの修復状況や、サグラダ・ファミリア聖堂を短期間に完成させるためのセメントからつき出した鉄筋の醜さに。祈りの場が見世物と化した茶番に。教会の安全を優先するためという大義名分で塗り固めたセメントと金属屋根を剥ぎ取ってほしい。聖堂の誕生の門に鎮座する気持ち悪い顔をしたエンジェルたちの彫像を剥ぎ取ってほしい。なぜガウディの心を踏襲しようとしないのか…。 ■なぜ急ぐ。なぜ修復や完成をそれほどまでに急ぐのか。いかに純な心でガウディと関わりを持っても、お金がからむと、利権が発生すると、その配分に加担し、甘い蜜をほかに吸わせないことに躍起になり、畜生と化してしまう。ああ、生きることって、なんておろかなことなんだろう。ちくしょう、畜生、とつぶやきながら、わたしはシャッターを押したのだった。 ■これからも大量の観光客がバルセロナを訪問する流れは立ち消えることはない。まだまだ勢いがある。利権に目がくらみ、バルセロナの一等地にプール付きの自宅を構え、何台もの高級車を乗り回す輩(やから)が、当分は続々と出現するに違いない。 ■バルセロナは美しい街だ。ガウディの建築物が引き立つのは、その美しい街並みがあってこそ。札束で相手のほほを打ち、さらなる利潤を得ることに奔走する人たちに幸いあれ。

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2005年2月19日 (土)

異国でメディアを買う

IMG_4156d■バルセロナで五回目の夜です。早朝から深夜まで友人の案内人と二人で動き回っておりました。今日は少し早めに上がったので、ちょっとばかり情けない話を…。
■2枚のフラッシュメモリ(500MB 12X)を10万円ほどだして買ったのは、二年ちょっと前。二年もたつと新しいメディアに追い越されてしまったようです。アクセススピードが追いつかなくなり、デジタルカメラで保存するRAWデータに対応しきれなくなっておりました。
■調べてないなんて、技術系のライターとしては失格です。情けない。100枚ほどの写真をデータエラーで消失してしまいました。後から気がついたのですが、RAWデータは失われてもJPEGデータは残っていたんですよね。フラッシュメモリを初期化する前に、なんで気が付かなかったんだろう。これも知らなかったじゃすまない話です。ああ情けない、ホントに情けない。
■JPEGだけで写真を撮るわけにはいかず、フラッシュメモリを買うことになりました。まずは、大きな電気屋で転送速度の速いフラッシュメモリを物色してみたものの、知らないメーカーのものばかり。店員に聞いてみたが、お目当てのものは在庫にもないという。
■結局、カメラ屋で入手できたのですが、店に行く前にメーカーくらい調べておくべきでしょう。もう、何も言うことありません。結果的に質の良いもの(2GB 133X)を入手できはしましたが、反省しきりの道中であります。写真は、コロニアグエル地下教会。こんな写真を100枚ほど消さないと、分かんないんだろうかねえ。

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2005年2月14日 (月)

メディアへの信頼

■デジタルカメラのデータをバックアップするツール。パソコンのハードディスク、リムーバブルハードディスク、ソトレージ・ビュア(P-2000)。みなハードディスクばかりだ。このメディアへの信頼はいつになっても低い。やっぱりCD-ROMは旅先では必須でしょうねえ。というわけで、これからバルセロナへ行ってきます。

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